対バーレーン戦(アジアカップ予選)。

ひさびさに,屋号的な言い方ではじめれば。


 テスト・セッションの使い方を間違えたおかげで,100%のアタックをしなくてもいいはずの予選で,100%の勝負を仕掛けざるを得なくなった,という印象を持ちます。


 予選段階だけで話を完結させれば,それほどに違和感を持つ話ではありません。ありませんが,「決勝」をにらんで逆算的に組み立てる(マシンが抱える問題点の洗い出しや,決勝に向けた複数セッティングのチェックなど),という視点を持ち込むと,違和感が出てくる。


 どうも,そんな感じに見えてきます。ということで,バーレーン戦であります。まいど,1日遅れのアップでありますれば,こんな視点を織りまぜつつ書いていこうと思います。

 さて。恐らくご想像通りだと思いますが,“テスト・セッション”と表現したのはいろいろと騒がしくなったきっかけである,「あの」東アジア選手権であります。


 このトーナメントに対する位置付けが,あまりに中途半端であったのではないか,と思っています。個人的には,「テスト」という側面だけを徹底して押し出してもよかったのではないか,と思っているのです。中途半端にテストであり,中途半端に真剣勝負であり,という位置付けになってしまった(と言うのがいいか,位置付けをしっかりとしなかった,と言う方が正確か。)がために,本来100%のアタックは必要ないはずのバーレーン戦までが,影響を受けた。そんな印象を受けたりします。


 ゲームのそのものについては,このチームが標榜しているフットボール・スタイルであったり,表現してきたパフォーマンスはこのようなものであった,という「再確認」ができた,という感じを持ちます。そして,このチームの攻撃面を支えるのは中盤の低い位置,ケースによってはセントラル,と呼ぶ位置の機動性や戦術理解度の高さにある,という認識も新たにしました。
 攻撃を組み立てる,という側面から見るならば,確かにサイドが重要性を帯びている,と思います。アタッキング・ミッドフィールドがサイドに大きく展開するケースも多いですし,となるとSBとの関係性は当然に意識されます。そして,ボールはサイドからセンターへ動いていく,と。確かにその通り,なのですが,攻撃を開始する段階において,であったり,攻撃面でアクセントを付けないと,という局面で機能してもらわないと,というのがセントラル・ミッドフィールドだろう,というわけです。そんな部分で考えると,バーレーン戦のパッケージはひとつの解だろう,と思うところです。


 しかし。ボール奪取位置がズレる,というのはこのチームにとってクリティカルだな,と。


 網を掛けるエリアに関して,かなり明確なイメージを持っているだろうことは理解できます。
 できますが,「高さ」という武器が最後方にいる(戻るまでの距離,時間をどうマネージするか)ということを意識した組織守備も同時に,しっかりとしたイメージを描いておく必要があるように感じます。セントラルの機動性は攻撃にとって重要だけれど,その機動性が守備にも生かされていかないと,ラインに穴を開ける可能性もある。この関係性を,「人的に」整理するのではなくて,組織的に整理する必要もあるかな,と思うのです。


 チームの基盤が,バーレーン戦でのスターターあたりに置かれていることは,間違いないところでありましょう。確かに,実戦を通じて熟成をしてきた基盤なのですから,ある程度の強度を持っているでありましょう。ありましょうが,その基盤が十分に大きいのか,と考えるならば,必ずしも大きいとは言えないでしょう。国際Aマッチなのだから,問答無用で結果重視,という「タテマエ」も理解できるけれど,タテマエという筋を通したことで,中長期的な視点で「無理筋」になってしまう可能性もなくはない。


 フットボール・スタイルという側面では,かなりイメージは共有されている,ように思えます。
 思えますが,共有している母集団が,大きいとは言い切れない。さらに,共有の仕方が「組織」方向だったり戦術方向からの共有ではなくて,「人的」な方向からの共有,という印象を強くしてしまう。ナショナル・システムと言うほどに,いまのフットボールが共有され続けているわけではないのだから,ある程度は「枠」が要るはずですし,その枠を理解させる「機会」,つまりはテスト・セッションも必要なはずです。


 東アジア選手権は,スケジュール面などを考えても,テスト・セッション的に使ってもいいはずだったし,格好の舞台だったとも思います。けれど,テスト・セッションを中途半端にしてしまったがために,本来テスト・セッションに使ってもいいはずの予選で,「ベース・セット」を持ち出さざるを得なかった。リアリストであるはずの指揮官ならば,冷徹にゲームの重要性を判断するはずなのに,オン・ザ・ピッチのみならずオフ・ザ・ピッチにおいてもリアリストな側面が消えてしまっている。そんな部分の方が,ひとつひとつのゲームよりも気になったりします。