「格好良かった」インタビュー。
いいインタビューだった,と思います。
気持ちの整理が付く,そんなタイミングではなかったのは確かでしょう。それだからこそ,フィギュアが持っているスポーツの側面であったり,スケーターという言葉から受けるイメージではなく,“アスリート”としての側面を強烈に感じることができたように思うのです。
個人的には,再びの「北米決戦」となったアイスホッケーが気になっておりまして,どうも採点競技は苦手だったりするのでありますが,ちょっとだけフィギュアの話などを。
まず,「いい試合を見せてもらった」という思いがあります。
どうしても,メダル争いに注目してしまいがちですが,誰しもが“ベスト”を出そう,オリンピックという舞台で持てる能力を最大限に発揮しようとして勝負をしてくる。その姿に優劣はない,と思います。そして,実際に鈴木選手はパーソナル・ベストをこの舞台で更新してきました。大きな意味を持ったオリンピックだったのではないかな,と思います。
また,競技に集中するというだけで至難だろう,と思われたなかで表彰台を獲得した,ロシェット選手。彼女の強さもまた,印象に残るものでした。
では,浅田選手のことをちょっと。
たとえば,ゴールド・メダルというのがひとつの頂だとして。その頂に到達するための登攀ルートは複数想定できるでありましょう。そのなかで技術的な要素も,そして登攀ルートも「敢えて」厳しい道筋を,という選択をしたのが浅田選手であり,タチアナ・タラソワだったのでしょう。
浅田選手にしてみれば,厳しい道筋だったでありましょう。期待感,という姿をしているプレッシャーゆえか,あるいはプログラムが浅田選手に対して新たな引き出しを要求しているかのように映るがゆえか,オリンピック・イヤー前年にかかる2009シーズンは,崩れたリズムで戦っていたように見えます。そんな状態から,「異次元」とも言えるような争いへと戻ってきた。それだけで,すでに価値あること,と個人的には感じています。
しかし。彼女は勝負権を取り戻したこと,あるいはメダルに意識を持っていくのではなくて,勝負に勝てなかったことに意識を向けていた。
試合直後のインタビューは,端的に「格好良かった」。悔しさをはっきりと表現できる,それだけ厳しい状態からトップ・フォームに戻ってきたのだ,という思いも見えたように,私には感じられました。