Bronze Medal.
攻めて獲るか,それとも守って取るか。
どちらが最適解なのか,というのはあまり意味を持たない,かも知れません。
アウトサイドからすれば,どちらの考え方にも一理ある,と感じますし,いわゆる「レバタラ」で考えるならば,守るというアプローチに理があったかも,と。転倒以降はほぼパーフェクトであった,といいますし。
ただ同時に思うのは,「攻める」という決断が最も意味あることだったのではないかな,ということだったりします。
ここでは“フットボール”以外を取り上げることはほとんどありませんが,今回はちょっとだけフィギュアの話などを。
フリーで首位を奪うためには,クアドラブルが必要不可欠だ,という流れができかかっていたように思いますし,その流れはプルシェンコのコメント,そのコメントを受けるかのようなコメントで固まった,ようにも思います。ただ同時に感じたのは,“クアドラブルを飛ぶことで,ゴールド・メダリストという立場を攻めて獲る”という意思のようなもの,でもありました。
SPで首位に立っている選手,彼に真正面から挑み,そしてトップを奪う。
そのために,何が求められるのか(必要なのか),という方向から決断をしたんだな,と。ゴールド・メダル,というものから逆算するのではなくて,自分からゴールド・メダルに迫っていくんだ,と。
となれば,その決断であったり,プロセスこそが最も大きな意味を持つなのだろう,と。
「・・・なかりせば」というパラレル・ワールドは,私たちには知る由もありません。クリーンに,という攻め方で首位を奪った選手がいるのだから,という言い方もできるでしょう。けれど,彼とは違った形で「攻めていった」,その攻めていった結果で奪ったメダルであります。すごく,いい形で奪ったメダルなのではないかな,と思います。