俊輔選手の去就は。
スポーツ・メディア経由だと,「観測気球」という意識もしますが。
時事通信さんが記事を配信(スポーツナビ)するとなると,さすがに確度は高そうだ,と思いますね。となると,「めぐりめぐって」記念ユニフォームの段階に戻る,ということになるのかな,と。
・・・あのときのアウェイ・マッチが浦和にとっては大きな意味を持ったわけですがね。チームがどこか,「確信」を揺るがせるきっかけになった,とでも言うか。
それは別として,ちょっと俊輔選手の話を。
ちょっとだけ,時計の針を戻してアウトサイドが勝手な推理をしますと。
セルティックでのキャリアが思うよりも長くなった,という思いもあったかも,と思います。彼が在籍したセルティックはスコティッシュ・プレミアを主戦場とする強豪クラブ,であります。ありますが,スコティッシュ・プレミア自体はそれほどタフなリーグ戦というわけではなく,タイトルへの勝負権を持っているのはセルティックと同じく,グラスゴーを本拠地とするレンジャースあたりであり,それほど熾烈な争いが展開されるわけではありませんでした。となれば,タフなリーグ戦かどうか,という基準ではなく,「欧州カップ戦」という舞台への可能性(現実的な可能性)に魅力を感じて移籍を考えたのだろう,と思うわけです。
欧州カップ戦で存在感を示すことで,さらなるステップアップを。
そんな意図もあっただろう,と思いますが,実際にはそれほど大きなアクションはなかった,ように思います。ちょっと厳しい言い方をするならば,「飛び出すタイミング」を逸してしまったのかも知れません。そんなときに,リーガ・エスパニョーラからのオファーがあった。もともと描いていたキャリアへと軌道修正できる可能性があるわけですから,魅力的には映っただろう,と。
しかしながら,セルティック時代のような形でピッチに立てるか,となれば,それは難しい話。ケガも重なったと思いますが,チームを構成するピース,という位置付けから「重要なピース」へと存在感を強めることはできなかった,ということに残念ながらなりましょう。
2010シーズンが,ワールドカップ・イヤーであるということも作用していると思いますが,数ヶ月前にもあった話が,再び持ち上がってきた。いささか遠回りが過ぎたのではないかな,というのが偽らざる思いでもあったりします。