戦術的成熟度(09〜10天皇杯決勝)。

積極的に仕掛けていったチームと。



 その仕掛けを受け止めながら,逆襲を狙っていたチームと。



 「らしさ」という側面で言えば,らしさをあえて抑えていた時間帯もあるだろうし,相手に主導権を掌握されたことで,らしさを出し切れなかった時間帯もあったように見えます。



 それでも,オン・ザ・ピッチでのコントロールが揺れることはなかったように見えます。



 チームとして,相手がバランスを崩す時間帯を冷静に待つ。

 守備応対で決定的な破綻を起こさなければ,逆襲を仕掛けるチャンスは訪れる。

 

 そんな意識が,ピッチから感じられました。



 ということで,2010シーズン最初のエントリは,残念ながら虚心坦懐に眺めざるを得なかった国立霞ヶ丘での決勝戦,であります。

 では,アウトサイドがどう見たか,をごく簡単に書いておこうと思います。



 まずは,名古屋の印象でありますが。



 「途中までは」悪くないゲームの運び方だったのではないか,と感じます。

 立ち上がりからの時間帯は,相手に掌握されていたか,と。

 その時間帯にキッチリと崩されての失点でありますから,決してダメージは小さくなかっただろう,と思います。

 それでも,ハーフタイムを迎えるまでにゲームをイーブンへと引き戻せた。

 このことで,後半立ち上がりからのリズムが導かれただろう,と見ています。



 けれど,攻撃面に意識を強く傾けたがための帰結,でありましょうが,バランスが崩れる時間帯がありました。その時間帯を,相手にしっかりと狙われた。攻撃的にゲームを,という姿勢が見られたのは悪いことではないのだけれど,引き換えに守備バランスが悪くなってしまったように感じるし,カウンターをどう減速させるか,という部分でちょっと淡泊だったか,と感じます。



 対して,G大阪でありますが。



 「老獪」という言葉が適切かどうか,は別としても。

 ゲーム・マネージメントという要素であったり,戦術的な成熟度という要素で,相手とは差があったか,と感じます。



 立ち上がりからリズムを引き寄せていたのは確かです。

 でも,そのリズムを相手に持っていかれた状態でハーフタイムへと入っていく。

 さらには,後半立ち上がりから相手の攻撃を受け止めざるを得ない時間帯が続いていく。



 ともすれば,チームが浮き足立ちかねないような状態ですが,チームが揺れたという印象は薄かったりします。むしろ,オン・ザ・ピッチで戦術的な微調整を仕掛け,「的確にゴールを陥れるためのアプローチ」を選び取っていったように,映るわけです。



 「らしさ」という側面から見るならば,100%とは言えないでしょう。

 ではあるけれど,「らしさ」も「結果」を引き寄せるための,ひとつの道筋です。

 違う道筋が必要なのであれば,その道筋を選び取る。

 戦術的なギアチェンジが,ピッチで仕掛けられるという部分に,熟成度という要素を感じたりするわけです。



 ・・・チャレンジしたがゆえの,ファイナル・スコア。



 そういう側面はあるにしても,“カウンター”への対応はいささか淡泊でした。

 攻撃的に,という意識だけが強くなってしまって,相手に付け入る隙を作ってしまった。

 さらに,1on1での守備応対が,傷口を広げた。



 局面ベースでの差は,確かに小さなものだった,とも言えると思うけれど,その差を積み上げていくと,結構な差が出てしまう。

 国立霞ヶ丘のゲームは,そんな印象を残すものでした。と,終わるだけではファースト・エントリとして納得がいかないので,ちょっと書き足しておくことにします。

 ・・・書き足す,となれば,当然ワタシの「軸足」であります。

 といって,戦術的なシミュレーションをしながら決勝を見ていた,というわけでもなくて,カップを掲げたチームを見ながら,今季のファースト・チームを想像してみた,というわけです。



 ということで,ちょっと話を浦和に引き寄せてみますと。



 ある意味,「基礎教程」を強く意識し過ぎていたように映る,昨季の浦和。

 その基礎教程が,どこまで熟成できるか,も当然テーマでしょう。

 その基盤となる,フィジカル面での強化も。

 ただ,フィジカルはパス・ワーク「だけ」に関わるものでもないでしょう。

 相手を崩すためのアプローチ,道筋として,基本線をパス・ワークに置いている,ということを意味しているのでしょうし,ほかの道筋を全面的に否定する必要性もないだろう,と。

 「ゴールを陥れる」ために,どのアプローチが最適なのか,を自動的に選び取れる,つまりは狙うフットボールが浸透しきれば,ほかの選択肢にも視野が広がっていくだろう,と。



 戦術的な幅を広げるためにも,基礎教程を徹底していく。

 恐らくは,そんな準備になっていくのではないか,と思います。