対鹿島戦(09−34)。

リアリズムにウェイトを傾ける,という判断はしなかった。


 あくまでも,2009シーズン型のフットボールで対峙する,と。


 最低でも「勝ち点1」を確保する(対戦相手の優勝を徹底して阻止する),というプランを描いていたならば,リアルへのウェイトは相対的に重かったはず。局面によっては,ゲームを壊すという選択肢をも取り得たかも知れない。


 チームとしての熟成度を考えれば,彼我の差は大きい。それでも,2009スペックを愚直にぶつけることで,ゲームを戦おうとした。


 ファイナル・スコア,そしてそのファイナル・スコアから導かれる「結果」から見るならば,理想に重心を置く,という判断は正しくなかった,ということになるでしょう。


 ただ,視点を変えれば。


 「勝ち点0」に終わる,というリスクを背負いながら,2009スペックなフットボールを徹底し,「勝ち点3」奪取を狙いに行った,とも解釈できる余地もある。ひとつのゲーム,その中でのリアリズムよりも,2010シーズンを見据える中からチャレンジする,という方向性を選んだ,とも。であるならば,「勝ち点0」という結果に意味を見ておかないと,とも思うわけです。


 さて。まいど1日遅れで最終節・鹿島戦であります。


 基本的には,2009シーズンを象徴するかのようなゲームであった,という印象であります。


 ショートレンジ・パスを大きな基盤として,ボール・ポゼッションを確保すること,そのボール・ポゼッションから攻撃を構築すること。


 このポイントに関しては,表現できていたな,と感じます。ただ,相手守備ブロックに対する脅威を構築できていたか,というのが攻撃面での大きな課題です。この課題は,最終節にあってもキャリーされていましたし,来季へと引き継がれる課題となってしまっています。


 たとえば。


 サイドを攻撃面でのポイントとしてセットしている。このことは,ピッチからも受け取れます。けれど,相手守備ブロックを揺さぶるための「仕掛け」につながっていかない。仕掛けるときの,分厚さがなかなか表現できていないように感じるのです。
 攻撃を,高い位置で循環させることができる時間帯も,確かにありました。あったけれど,トップとアタッキング・ミッドフィールドであったり,セントラル・ミッドフィールドとの距離感がいささか遠い,という時間帯が多いし,アタッキングサードに侵入していく,という形を作れる時間帯は,逆にいささか少ない。どうしても,フィニッシュにつなげていく仕掛けがピンポイントになりがちになるから,相手守備ブロックとしては守りやすい攻撃になってしまう。
 大ざっぱに言えば,「攻め切れない」状態で攻撃がストップしてしまう時間帯がいささか多いという印象から,今節も逃れられなかったように思うのです。


 中途半端な高さで攻撃を寸断されるわけですから,当然ながら相手の逆襲を受ける危険性が相当に高い。そのときに,チームがどのように守備を仕掛けるのか,共通理解がピッチから感じにくい,というのが,今季における課題であるように感じてきましたし,今節もその課題を感じさせるものでした。


 守備ブロックが,追い掛ける守備になってしまうこと。


 もともと,ラインを「構えて」受け止める形での守備応対をしていたわけですから,追い掛ける形に持ち込まれては,「らしさ」を出しようもない。ボール・コントロールを奪われた直後の対応が,どれだけ適切に取れるのか。相手のカウンターをどれだけ遅らせ,相手を抑え込むような形での守備応対ができるようにチームとして意識付けするか,という部分で,まだ明確になりきれていないように思うのです。


 ・・・2009スペックなフットボール,その熟成度は,スタンディング首位のチームを抑え込むに足るものではない。ないけれど,新たなフットボールへと踏み込んでワンシーズンを経過するかどうか,という段階でもある。


 この段階で,ブレる方がよほど怖い。


 2008シーズンまでのフットボールでの限界を感じたから,新たなフットボールを,という決断へと踏み出したはず。中途半端に立ち位置を変えるべきではない。


 そう考えれば,この最終節は「決意表明」と受け取れなくもない。どういうチームを相手にしようと,オレたちのフットボールで勝負を挑み,「勝ち点3」を奪いに行くのだ,と。


 ならば,その気概を持ち続けてほしい,と思います。もちろん,「相手が嫌がる」ことを表現できるようにならないといけないのは,言うまでもありません。今季は基盤構築だけに意識が傾いたからか,あまりに素直な戦い方になっていたように映ります。ここから抜け出せるのか,が重要な要素でありましょう。
 長いシーズン・オフというのは不本意きわまりない,というのは言うまでもないことですが,「相手が嫌がる」方向での「らしさ」を組み上げるための時間,と考えるならば,決して悪いことばかりではない,かも知れません。