カップ戦の持つ怖さ。

“UPSET”であることは,間違いないでしょう。


 対戦相手はプロフェッショナル・クラブなのですから。ただ,「実質的な」アップセットなのか,と考えると,ちょっと違うような印象を持ったりもします。


 プロフェッショナル,に対して,プレゼンスを見せ付ける。
 チームとしてのプレゼンスであり,フットボーラーとしてのプレゼンスを。
 そんな意識を,どこかに感じたようにも思えるのです。


 スコットランド戦,ではなくて,天皇杯であります。


 立ち上がりの時間帯から,主導権を掌握するという意図をピッチに放散していたのは明治大学であったように感じます。自分たちのリズムでボールを奪い,攻撃へとつなげていく。
 対する湘南ベルマーレは,結果として後手を踏んだように見えます。
 積極的に仕掛けてくる明治の姿勢に対して後手を踏んだ,と言うよりも,自分たちのフットボール,というピクチャーが必ずしもスターターで共有されていないがために,相手に対して「付け入るべき隙」を提供してしまっていた,そのために結果として後手を踏まされる形になっていたように,感じるわけです。


 戦力的な基盤,であったり,パフォーマンスであったりを冷静に考えるならば,ハーフタイムを挟んでからの湘南,彼らが表現したパフォーマンスがベースであって,あの段階からゲームがはじまる,と考えるべきなのかも知れません。
 ただ,フットボールという競技は,ロジカルに戦力的な基盤が試合内容に反映されるとは限らない,というのも確かであるように感じます。


 明治は,立ち上がりの時間帯で心理的な先手を取った。先手を取った時間帯で,先制点をも奪取した。
 自分たちのフットボールが,プロフェッショナルを相手にも通用する。
 この確信は,押し込まれる時間帯にあっても彼らを支える基盤だったと思います。


 湘南がパッケージを微調整してきた時点で,抑え込まれることを意識もしたでしょう。
 シビアな守備応対を繰り返す,という形で45分プラスを乗り切らなければならないことも。
 それでも,追加点を奪いに行く,という姿勢を失いはしなかった。


 ・・・もちろん,湘南としては100%をカップ戦初戦に,という選択肢は難しいはずです。


 100%を持ち込める,相手とは事情が違う。チームとしてのプライオリティは,トップフライトにあるはずですから。


 ギリギリのバランスを取りながら,初戦を乗り切る。リーグ戦での実戦負荷が強く掛かってはいない選手を投入してもいたわけですから,戦術理解度,という部分で曖昧さを残す結果にもなったように感じるところもあります。
 加えて言えば,フットボールという競技は心理面が鍵を握る,ということを思い知らされたように思います。リーグ戦にあっても,心理面が大きな要素であることを実感する試合はありますが,カップ戦はそのコントラストがより明確なものとなる。


 カップ戦が持つ怖さ,と感じますが,同時にこの怖さは,魅力でもあるように思うのです。