「読売」時代の終わりに思うこと。

三菱浦和だったり,あるいは日産横浜だったり。


 プロフェッショナル・リーグが始まってからしばらくの間,読売新聞だったり日本テレビでは,こんな表現が使われていました。思えば,経営母体(親会社)たるメディアの姿勢,とも言えるこの呼称に伏線があったか,と思うのです。


 もちろん,同情すべき要素はあるでしょう。


 プロフェッショナルを立ち上げるにあたって,当初東京にはプロフェッショナル・クラブを置かない,という政策的配慮もあったとか。


 そのために東京にホーム・タウンを,と考えていた複数クラブが,結果として違うホーム・タウンを選択したという経緯もあるわけです。また,実質的に東京エリアを本拠地としていながら,J基準に収まる競技場がありませんでした。観客収容数という側面で,そもそも基準を満たさない競技場であり,キャパシティに問題はないものの,付帯設備面で問題を抱えていたりなどと。


 結果として,ホーム・タウンは川崎に,となった。もうひとつの伏線は,ここにもあるように思うのです。


 そして,この2つの伏線が重なったときに悪循環ははじまった,と。


 こちらの記事をもとに,ちょっと歴史学的クラブ論であります。


 では,過去を振り返りながら伏線をつなぎ合わせてみると。


 プロフェッショナルへの移行時期,経営母体である読売,そしてクラブ・サイドの意識を察するに。


 プロフェッショナル,という路線を否定はしていなかったでしょう。


 そもそも,実質的なプロフェッショナルとして活動してきているのですから。ノン・プロフェッショナルだけしか存在していなかった時期に,プロフェッショナルという文化を持ち込む,という気概は,評価されるべきものでもあるでしょう。


 ただ,「ホーム(戻るべき場所)」という意識があまりに希薄だったのだろう,と思うのです。


 アメリカン・スポーツにしても,欧州でのフットボール・クラブにしても,そもそもの立脚点は「地域」にあります。アメリカン・スポーツでは,チームの実質的な所有権が特定の会社にあろうとも,ホーム・タウンの名前とチームの愛称だけが使われていますし,欧州では地域の同好会からクラブがはじまっているケースが多く,自然と地域名が織り込まれるようにもなっています。MLBにせよ,プレミアシップリーガ・エスパニョーラなどに代表される欧州主要フットボール・リーグにせよ,いまはあまりに大きなスポーツ・ビジネスとなっていますし,チーム,クラブによってはネイション・ワイド(と言いますか,ワールド・ワイドと言いますか)な人気を獲得しているところもあります。ありますが,そのビジネス的な要素を徹底的に外していけば,最終的にはごくローカルな部分が残るのではないか,と思うわけです。


 でも,当時のヴェルディは「ホーム」という発想があまりに弱いままに,全国区であることにこだわろうとしたのではないでしょうか。川崎だけのためのクラブではない。読売の血統にあるクラブなのだ,と。そうでなければ,全国のひとたちに愛されないではないか,と。


 その発想が,Jリーグ・クラブへの呼び方に反映されたのでしょう。


 浦和に根付こうとするクラブ,ではなくて,三菱の血を引くクラブだと。あるいは横浜のひとたちに愛されようとするクラブではなくて,日産の系譜にあるクラブだと。


 これは,ホームという意識を根付かせようとする,リーグの姿勢とは違う話です。この姿勢は当然,クラブとともに歩んでくれるひとを大事に,という姿勢にも大きな影響を与えただろう,と(もちろん,アウトサイドからですが)感じます。


 J基準を充足させるべく,競技場改修に動くなど協力体制を敷いてくれていた川崎市に対して,積極的にクラブ・サイドからも働きかけていくべきだったか,と思うのですが,当時のクラブは「本拠地」に対して冷淡であったように,少なくともアウトサイドからは見えました。どのクラブにとっても,“ホーム”ではないはずの国立霞ヶ丘で,ホーム・ゲームを多く開催する。その姿勢は,「オレたちのクラブ」という意識を育むには,大きすぎるマイナスであったと思うのです。


 プロフェッショナル前夜から,プロフェッショナルが立ち上がったあたりの時期を思えば,全国区的な人気を獲得しうるだけの戦力を保持していたし,獲得したシルヴァー・ウェアも当時の戦績を物語るものです。


 ただ,その実績が常に叩き出せる保証はありません。むしろ,下降線をたどる方が自然であるかも知れません。そのときにクラブを支えてくれるのは,「オレたちのクラブ」と思ってくれるひとたちがどれだけいるか,という部分になってくるでしょう。そこで,帰るべき場所であり,拠って立つべき場所であるホーム・タウンが意味を持つはずだったのだけれど,当時のクラブは「支えてくれるひと」を見つける,掘り起こす努力をしてはいなかった,ように少なくとも映った。


 東京移転後は,かなり地域に対する働きかけをしてきたと聞きます。その努力には,敬意を払うべきだと思うところもあります。ただ,あまりに大きなマイナス・イメージを川崎時代に背負ってしまった。


 プロフェッショナル,という文化がなかったところに,プロフェッショナルという発想を持ち込んだクラブ,その背骨であった,という事実は尊重したい。けれど,リーグ全体がプロフェッショナルへと移行しようとすると,「母体」としての存在感をネガティブな意味で強めてしまった。


 結果として,クラブの針路を誤らせてはいなかったか。


 プロフェッショナルを早い時期から志向していながら,プロフェッショナルが拠って立つべき場所に対する意識が薄かった。その過去ゆえに,悪循環にはまる。であれば,「読売」(読売新聞,日本テレビ含めて)がクラブから手を引く,というのはある意味,仕方ないことのように思えるのです。