対オーストラリア戦(最終予選・最終戦)。

せっかくの真剣勝負を,「空費」してしまった部分が多いな,と思います。


 明確な意図を感じるパッケージならば,ファイナル・スコアを考えない評価も成り立ちます。


 けれど,横浜国際にせよメルボルンにせよ。何かを意図したパッケージだったでしょうか。


 ベストに必要最低限の補修を施した,パッケージではなかったでしょうか。


 中途半端に結果を追い,中途半端にテストする。これでは,いささかもったいなさ過ぎます。このチームでの“ベスト・パッケージ”は確かに組織的ではあるのだけれど,「個」に依存する部分も相当程度にある組織性ではないのか,と感じます。パッケージが崩れると,チームとして表現するパフォーマンスが落ちてしまう。そうならないために,何をするか。チームをロジカルに積み上げるつもりならば,避けて通ってはいけない部分でしょう。


 そのための2ゲームであって,よかったのではないでしょうか。


 いつものように,1日遅れのオーストラリア戦であります。今回はゲーム内容は必要最低限で,戦術的なフレームにかかわる話をしてみます。


 たとえば,攻撃面を考えてみるとして。


 このチームでは,攻撃ユニットがある意味,最も重要な守備ブロックとして位置付けないといけない形になっているか,と思います。いまのチームは,守備バランスからチーム・ビルディングをはじめている,という印象はありません。むしろ逆に,どれだけアタッキング・サードに近いエリアでボールを奪えるか,速く相手ゴールに到達できるか,という方向からチームを設計しているように感じます。コンパクトさを維持しつつ,積極的にボールを奪う位置を上げて勝負し続けないと機能していかないフットボール,とでも言えるでしょうか。であれば,ボール・コントロールをどれだけ維持できるか,ある程度強引であっても攻めきる覚悟を持ち続けられるか,であったり,あるいはコントロールを失った直後の対応などが重要なポイントである,とも言えるはずです。


 さらに言えば,組織性を前面に出すフットボールになるはずですから,基本的に出発点は「戦術的な約束事」に置かれるべきで,ならば


 「(表現のディテールが違うのは当然としても)誰がピッチに立とうと同じ


フットボールが描けなければならないはずだし,その組織性によって個が引き出される,という方向性でなければならない,と感じます。


 攻撃ユニットとして求められる要素や守備ブロックとして求められる要素,あるいはこれらの基盤となるべき戦術的な約束事に曖昧さを残してしまえば,もともと守備的な安定性を出発点としていないフットボールなのですから,不要なリスクを背負うことになります。そうならないために戻るべき場所として,戦術的な約束事がセットされる,はずなのですが。


 戦術的な鍵を握るはずの中盤での流動性だったり機動性が,抑え込まれてしまっていました。そして,結果的にであるにせよ,相手の仕掛けを受けもした。
 となると,主導権を握って,という形には持ち込めません。しかも相手は,戦術的な部分で徹底された要素を持ってもいる。いつの間にか,持っているはずの組織性を外された状態で戦っていたような印象です。セットピースからの失点よりも,問題は組織性を外されたという部分に求めるべきか,と思うわけです。


 ・・・パッケージが崩れると,パフォーマンスまでが崩れる。


 モチベーション・コントロールと言うよりも,チームが狙うフットボールが必ずしも明確に描けない,戦術的な理解度にバラツキを持った状態のチームになってしまったから,結果的に組織性が剥がされた,と言えるでしょうか。ならば,「剥がされる」ことを大前提として,積極的なチャレンジをしていくためにタシケント以降のゲームを使って欲しかった,と思います。ファイナル・スコアも大事な要素ですが,それ以上にチームの基盤を可能な限り広げていくという要素はチームにしっかりとした競争を持ち込み,狙うフットボールに厚みを持たせるために重要な要素になるか,と思います。そのためにも,真剣勝負で徹底した負荷を掛けられる(実戦を通して戦術理解を深める)という機会はそうそうないのに,使い方が何とも中途半端であったな,と。


 ファイナル・スコアでもなく,最終順位でもなく。心残りに思うのは,チームが「誰が出ても」というフットボールが表現されなかったこと,であります。