Idealistic Barca.

「微調整」などという要素は,排除する。


 フットボール・スタイルへの確信を基盤に,そのスタイルを徹底する。そんな姿勢を貫き通して,ビッグイヤーへと到達したのですから,フットボール・フリークとして敬意を表さないわけにはいかないな,と思います。


 スタディオ・オリンピコでの決勝戦,であります。


 ローマへの指定席切符を奪取したのは,バルサにユナイテッド。2008〜09シーズン,欧州覇者を決めるカードとして,望みうる最良の対戦カード,そのひとつであることは間違いない,と感じます。


 さて。やはり,“ディテール”が帰趨を決する要素だったかな,と感じます。


 リズム,という要素を思えば,ユナイテッドが引き寄せていた時間帯も確かに存在します。しますが,「掌握していた」とまでは言えないようにも感じます。掌握されていないリズムは,揺れ動く。反対側に大きく振れることもまた,あり得ることです。そして,大きく反対側に振れると,今度は反対側で止まる。物理的なビハインド,と言うよりも心理的なビハインド,だったようにも思います。


 バルサが,自分たちのフットボールへの確信を深めていく,という要素と表裏一体でしょうが,ユナイテッドは「らしい」フットボールからジワリジワリと遠ざかって行ってしまったような,そんな印象を持ちます。


 ・・・バルサは,「らしく」ビッグイヤーへとたどり着いたな,と思います。


 そして彼らは,「らしさ」を手放してまでビッグイヤーを奪うつもりもなかっただろう,とも思うところがあります。


 過去を振り返ってみれば,バルサは相手の繰り出すリアリズムが壁となっていた印象を持ちます。今季にあっても,リアリズムは彼らを苦しめもした。しかも,かつてと同じくスタンフォード・ブリッジを本拠地とするクラブに。それでも,現実主義的な方向性へとチーム・バランスを傾ける,という選択を積極的にしたようには感じられませんでした。むしろ,チームとして狙う方向性をさらに徹底してきた,という印象さえ持ちます。相手がリアリスティックなプランを持ち出すならば,そのリアルを打ち破るだけの組織性であり,緻密さを。組織的にブレないフットボールはそのまま,ブレない意識をも表現したものだったか,と感じます。


 スタンフォード・ブリッジ,そしてカンプ・ノウで戦われた準決勝は,確かにギリギリの勝負ではあったけれど,相手が繰り出してくる現実主義的なフットボールをはねのけることができた,という「手応え」をもたらすものでもあったでしょう。アシュバートン・グローブ,そしてオールド・トラフォードで安定した戦いぶりを見せたユナイテッドが,決勝戦では有利にゲームを進めるのではないか,という見方もありましたし,その見方も確かになり立つな,と(もちろん,イングランドびいきですから,相当に好意的なバイアスがかかっていますが)感じました。


 実際には,バルサにどう対峙するか,曖昧な要素を残したままだったように映るユナイテッドではなく,ユナイテッドがどう出ようとも自分たちの軸足に対して揺らがない確信を持っていたバルサが優位に立った,と。


 必ずしもロジカルな結論が導かれるわけではなく,それゆえに魅力的な競技だと思っていますが,ロジックがまったく不要というわけではなく,しっかりとしたロジックがあるからこそ,ロジックを超えた「結果」を導ける。指揮官も,チームを構成する戦力も変化を続けているけれど,クラブを貫く「哲学」とでも呼ぶべきものには揺るぎがない。そして,掌中に収めたひとつの到達点。“Idealistic”というのは時にホメ言葉にはならないかも知れないけれど,彼らが選んできたルートを思えば,ホメ言葉としてむしろ相応しいのではないか,などと思うのです。