去りし「旗頭」。

「個」を絶対的な基盤とするフットボール


 少なくとも,間違ったアプローチではないでしょう。ただ,「戦術的な基盤」が整備できているならば。


 その戦術的な基盤,どれだけ意識されていたのでしょうか。アウトサイドからの推理でしかないけれど,2007シーズン中盤あたりから戦術的な基盤は整備されずに放置されてきた,かも知れません。2006シーズンに構築された戦術的な約束事,それを戦力的な変化があったにもかかわらず維持し続ける,という道を選んでしまったように映ります。


 戦術的な基盤が,経年劣化を起こしたとも言えるでしょうか。


 にもかかわらず,「成功体験」から抜け出すことができなかった。エル・ゴラッソ紙に掲載されたコラム,そこには「戦術練習の不在」というキーワードがありました。“コンディショニング”という言葉で,戦術的なブラッシュ・アップをしていなかった,と。


 明確な“スタイル”が失われつつあるのだから,“アクセント”を付けようにも付けられない。前任指揮官への反旗は,実質的な「決別宣言」と理解することもできるけれど,クラブへ「危機意識」を持ってほしい,という意識もあったように思うのです。


 昨季の段階で,予感めいたものはありました。それだけに,それほどの驚きはない,つもりでした。


 でしたが,実際にリリースを見ると,さまざまな感情が浮かび上がってきます。


 ひとりのフットボーラーとして,下した決断。その結果は,最大限に尊重したいと思います。むしろ問題なのは,そんな決断を引き出してしまったものだろう,と思います。


 戦術的なブラッシュ・アップ,あるいは戦術的なチャレンジを抑え込み,かつてのパッケージに過剰に依存した結果として,追い求めていたはずの「結果」にまで悪影響を及ぼしてきた。のみならず,戦力流出という事態にまで立ち至った。


 同じ轍を,踏むわけにはいかないと思うのです。


 浦和,というクラブの「旗頭」として意識されるべき選手が,同時期に去ることになります。契約満了,あるいは完全移籍として。


 2009シーズン以降,「旗頭」として意識される選手は必ず出てくるはずだし,そうあらねばなりません。そして,その旗頭をイメージするとき,明確に浦和が表現すべきフットボールがイメージできるように,「戦術的な基盤」が構築されていなければならない,とも思います。


 失われたものを,必死になって取り戻す。取り戻すだけでなく,揺るがない基盤として組み上げていく。そんなクラブを変わらず追い掛け,支えていく。その覚悟として,このリリースを意識しておきたいと思います。