116分後の先制点(08〜09天皇杯決勝)。

恐らくは,双方にとって「意図せざるシナリオ」だったでしょう。


 ただ,その意図しなかったシナリオ,どちらにより有利だったでしょうか。ゲーム・クロックが45:00から再び動き出す,その直前の時間帯に引き戻してみれば,柏のゲーム・プランは「90分プラスという時間枠で雌雄を決する」ことで徹底されていたのではないか,と感じます。


 ということで,ちょっと天皇杯のことなど。あくまでアウトサイドの視線なので,ニュートラルな形で。


 では,柏の印象からはじめますと。


 積極的に攻撃を構築する姿勢が,立ち上がりから存分に表現されていた,とは感じます。
 感じますが,コメンタリーを担当していた山本さんも指摘するように,アタッキング・サードで守備ブロックを揺さぶるための「オプション」が,ちょっと不足していたかも知れません。相手守備ブロックのマーキングを引き剥がすことのできた時間帯もありましたが,ゴールネットを揺さぶるまでには至らなかった。


 あまりにもったいない45分間だったように思います。


 恐らく,ハーフタイムを挟んでの戦術交代は仕掛けに変化,アクセントをつけるという布石だったのだろう,と思います。そして,仕掛けの強度を強める方向へとチームを傾けた。


 そんなシフト・チェンジに,ポジティブな意味での化学変化を起こしたのがG大阪ではなかったかな,と。


 準決勝でも感じたことですが,やはり100%フィットには戻しきれずにスターターがピッチに立っているな,という印象を受けました。そのために,立ち上がりは柏の仕掛けに「受ける」時間帯が多くなる。
 それでも,柏はフィニッシュという部分でリズムを崩し,主導権を握るきっかけをつかむことになります。


 そこで鍵を握ったのは,チームとして「待ち構える」姿勢だったと感じます。積極的に戦術交代を仕掛けた柏に対して,ギリギリまで戦術交代を仕掛けずに,スターターのバランスを維持した。それは恐らく,パス・ワークでリズムを構築するフットボール・スタイルという要素ではなくて,決定的に揺さぶられることがほとんどなかった守備ブロック,守備的な要素が背景にあったのではないでしょうか。


 柏が仕掛けのリズムを強められないことで焦りを生じる。逆に,スプリントを仕掛けるタイミングを冷静に計ることができる。そして,スプリントを仕掛けたタイミングには,彼らが過酷なカップ戦を戦っていく原動力としていただろう,「執念」のようなものも見ることができた。


 ・・・あくまで,ニュートラルに書いてきましたが。


 やはり,国立霞ヶ丘のピッチ,その先に見たいものは柏のアウェイ・キットでもなければ,G大阪のホーム・キットでもありません。浦和という軸足を強く意識しながら,ちょっとまとめてみますと。
 確かに,リーグ戦が最もシビアな時期に初戦を迎えたり,最終節終了後から加速がついたかのようにゲーム・スケジュールが組まれますから,必ずしも100%のコンディションで戦えるとは限らないカップ戦,ではあります。
それゆえに,「渇望感」が原動力となりやすいのも確かでしょう。


 バルコニーで手渡される小さなカップ。あのカップはアジアへの鍵であり,さらにはFCWCへの招待状にもなり得るものです。G大阪が見ていたものは,確かにカップでもあったと思いますが,カップが誘う「アジアという舞台」に戻ることだったのではないでしょうか。
 かつて,浦和がアジアへの足掛かりをつかんだのは,このカップ戦でした。そのときの原動力も,「渇望感」だったように思うのです。リーグ・タイトルを逃し,浦和の爪痕を明確に残すための舞台がこのカップ戦でした。そして,このカップはアジアへの鍵でもあった。


 チームを構成するユニットが小さくなっている。戦術と,メンタルとのアンバランスが影を落とす。そんな状態に陥った時期と,天皇杯でのプレゼンスが弱くなった時期とは重なっています。
 こんな部分からも,チームを再構築する必要性が導けるように思うのです。