ハイブリーからフラットン・パークへ。

“Famous Four”なんてフレーズを思い出します。


 最も安定した成績を残す,トップ・ディビジョンを主戦場とするクラブ。そんな評価を引き出した基盤が,このディフェンス・ブロックだと思います。


 当時の指揮官は,確かジョージ・グレアムだったはずです。彼は,スパーズの指揮官にもなるのですよね。“ノースロンドン・ダービー”は,どちらかと言うとホワイト・ハート・レーン方面が意識しているような印象があるのですが,このねじれた関係はいまでも不思議です。


 さて。ガンナーズの指揮官となったアーセンも,チーム・ビルディングの基盤としてこの“Famous Four”を位置付けていたようで,(もちろん,世代交代という要素は外せないのですが)大きな変更を加えていなかったな,という印象を持っています。


 このディフェンス・ラインを構築していたディフェンダー,そのひとりがトニー・アダムスさんです。


 ひさびさに,欧州ネタです。と言いますか,(イングランドびいきでありますれば)プレミアシップな話でありまして,スポーツナビさんの記事をもとに。


 フットボーラーとしてのキャリアは,アーセナルというクレジットだけ。まさしく,“ミスター・アーセナル”という表現が相応しいプロフェッショナルでありました。かつての本拠地,ハイブリーとともにあったフットボーラーとも言えるでしょうか。


 彼が,コーチとしてのキャリアをスタートさせるのは,2003年のこと。下部リーグを戦う“Wycombe Wanderers”というクラブでした。当時,このクラブは降格の危険性を持った状態でした。当然,最優先の目標は残留だったわけですが,残念ながらその目標は達成できずに終わります。その後,エールディビジでの経験を経て,フラットン・パークのアシスタント・マネジャーに就任します。トップ・ディビジョンでのコーチング・キャリアはこの時点ではじまり,ということになります。


 補佐するべきマネジャーは,ハリー・レドナップです。


 個人的にはアップトン・パークでのイメージが強い指揮官ですが,シーズン途中にトットナム・ホットスパーへと移籍します。ファンデ・ラモスを指揮官としていた2008〜09シーズンですが,深刻なチーム状態からの浮上を狙って監督を交代させるという決断を下し,白羽の矢を立てたのがレドナップだったわけです。


 指揮官を,同じトップ・ディビジョンを戦うクラブに引き抜かれ,ともすればチームが混乱に陥りかねない。ポンペイのスタンディングは決して悪いものではありません。チームの動揺を最低限に抑え込み,さらなる上位ポジションを狙うための指揮官を。そこでクラブは,アダムスさんをマネジャーへと昇格させるという結論を導いた,と。


 ダッチ・フットボールが持つ要素と,ガンナーズが表現してきたフットボールと。そして自身が持つ経験,キャプテンシーをチームに落とし込む。その結果がどのように,シーズン終了時のリザルトへと表現されるのか。ジャンフランコ・ゾラ監督と並んで,興味深い指揮官がダッグアウトに入ることになったな,と感じます。