厳然たる僅差(U23・対アルゼンチン戦)。

ひとつひとつは僅差なのですけれど。


 積み重なってしまうと,僅差は僅差ではなくなります。端的に言ってしまえば,“ミステイク”の質にその僅差は厳然として存在しているように感じられます。


 プレッシャーにさらされている状況にあっても,ミスを誘発されることがない。ましてや,それほど強いプレッシャーがかかっていない状況下では,ほぼミスを誘発することがない。


 基礎技術,という部分に帰着するのかも知れませんが,ミスによって仕掛けが分断される可能性が少ないために,フィニッシュへとリズミカルに持ち込むことができるし,ラッシュを掛けることも可能です。そのラッシュを受け止める以外に選択肢がなくなってしまうと,得点差は最小得点差では収まらない可能性だって十分にあり得たはず。


 確かに,ファイナル・スコアは0−1です。


 ただ,ファイナル・スコアが問題なのではなく,その背後が問題です。


 0−1という数字の背後には,もっと大きなスコア差を生みかねない要素がある。その僅差を,現段階においてはどのようにして埋めるか。そんな課題を意識するには,確かに絶好の対戦相手だったのかも知れません。


 国立霞ヶ丘での,アルゼンチン戦であります。


 90分を通して考えると,ゲーム・プランにある程度沿った時間帯,そして相手のゲーム・プランであったりリズムに乗せられた時間帯が比較的明確に分かれてしまったように思います。


 で,前半は意識していただろうゲーム・プランをある程度表現できた時間帯が多かったように思います。相手に対するプレッシャーを高い位置で掛け与えながら積極的に仕掛けていく,と言うよりも,ある程度低い位置にポジショニング・バランスを意識しながら構え,相手の仕掛けを受け止めるところからゲームを組み立てる,という意識を徹底したように受け取れました。


 となると,低い位置から仕掛けを組み立てないといけないことになる。このことが,前半での鍵だったように思います。


 対して後半は,相手の仕掛けを受け止めざるを得ない時間帯が多かった。


 仕掛けを本格的に強めたアルゼンチンに対して,受ける時間帯が増えてしまった,と。前半でも,ある意味では守備応対が厳しい状態でしたから,仕掛けを強められてしまうと,プレッシャーの掛かり方が微妙に緩んだだけでも,ゲームのリズムは大きく相手へと傾いてしまいます。相手にリズムを握られるとして,最も嫌な形でリズムを掌握されたような印象です。


 ・・・そこで,前半の鍵です。


 仕掛ける形が見られたわけですが,その仕掛けをどのようにして神戸でのオーストラリア戦,その仕掛けへと結び付けていくか,そのアイディアを見たかったな,と思うのです。国立霞ヶ丘では,仕掛けが単独突破という形で分断されてしまい,なかなか連動性を持った形での仕掛けとして表現できませんでした。1トップが抑え込まれた,という要素も無視できませんが,チームが低い位置に構えていた(構えざるを得なかった)ためにトライアングルが大きく引き延ばされた状態にあった,またアウトサイドとの適切な距離感が作り出せなかった,という部分もあるように思えるのです。


 そのときに,どう仕掛けを継続できるか,ということになるでしょう。


 ボール奪取位置を低く構えているのがイニシャルだとして,仕掛けを強めるタイミングでのボール奪取位置をどのようにして高く変化させられるか。仕掛けを単発に終わらせるのではなく,波状に仕掛けられるようにするために,どうチームとして戦っていくか。


 「個」を基盤として僅差を埋める時間的な余裕はありません。ならば,組織面で少しでも僅差を縮め,勝負できる局面を増やしたい。そんな姿が本戦で見られたとするならば,あまりに難しい証明題を解いているかのような国立霞ヶ丘でのゲームも,意味があったと言えるように思えます。