家本問題。

ゲームを,適切なタイミングに毅然としてコントロールする。


 しかし同時に,「必要以上」のコントロールをする必要もありません。試合を適切なタイミングに,毅然としてコントロールするための前提となるのは「ぶれない基準」であり,冷静さでありましょう。そして,その判断を尊重するという意味での,信頼感も大きな要素となるはずです。


 これらの要素が欠落,あるいは不足していたとするならば,確かにシーズン開幕を告げる重要なゲームをコントロールさせるべきではなかったかも知れません。


 ・・・ひさびさに,フットボールな話であります。


 イングランドでは,“コミュニティ・シールド(かつてはチャリティ・シールド)”と呼ばれるシーズン開幕を告げる特別なPSM,“ゼロックス・スーパーカップ”でのレフェリング,であります。「エル・ゴラッソ」紙(3/3,3/4号),その2ページ下段に掲載されている「家本主審批判の、その前に」と題された,川端さんによるショート・コラムをもとに,書いていこうと思います。


 まず,川端さんのコラム、その主張するところをごく大ざっぱに理解すれば,

 レフェリングという部分で“2008シーズンにおける基準”を提示するべきゲームにおいて,いまだ信頼感を回復していない主審に試合を任せたことにも問題がある。彼(家本主審)には,引き続きスモールゲームを着実に裁かせていくべきだった


という感じでありましょう。


 非常に的確な指摘ではないか,と思うのです。局面ベースにおいて,レフェリング・ミスがなかったとしても,そのジャッジを受け取る選手サイド,あるいはベンチサイドにレフェリングに対する信頼感がなかったとすれば,ピッチ上,あるいはピッチサイドは疑心暗鬼に包まれることになるでしょう。


 その空気を冷静に受け止められればいいのかも知れないけれど,家本主審の大きな問題は,周囲の空気によって冷静さを失い,基準をぐらつかせるのみならず,カードに多くを頼るようになってしまうことにあると感じます。


 レフェリング・ミスという現象面も確かに問題ですが,冷静さを維持できないことでレフェリングの前提を欠いてしまっているように映るわけです。冷静さを失ったとしてもすぐに取り戻せればいいのだけれど,失いかけている冷静さを取り戻すことがなかなかできず,むしろ自分から事態を悪化させてしまうところがあるように見受けられます。加えて言えば,しっかりとした選手とのコミュニケーションを取れないようにも映ります。


 これでは,指名する方が間違っている,と言わざるを得ないでしょう。


 もともと,家本主審が積極的にコミュニケーションを取りながらゲームを互いに構築する,という意識でピッチに立っていたならば,こちらの記事(サンスポ)が指摘するような,「1ヶ月間の研修」(実質的な出場停止処分)を受けるようなこともなかったでしょうし,信頼関係を瓦解させるような事態に陥らずとも済んだのではないか,とも感じるわけです。


 信頼関係をゼロから構築し直す。その過程にあったとするならば,「試金石」としてのスーパーカップだったとしても,その判断は時期尚早だっただろう,と。


 確かに,オン・ザ・ピッチでの問題はレフェリーに帰するところが大きいかも知れません。ただ同時に,川端さんが指摘するように「限界がある」主審を指名してしまうリーグサイド,そしてJFAにも問題があると思うのです。家本主審のことを本当に考えるのであれば,「試金石」などということを考える前に,冷静に,しかし同時に厳格な態度をもって試合をコントロールできる,という実績を再び積み重ねさせること,その上で選手との信頼関係を取り戻す,そのための時間を作っていくべきではなかったか,と感じます。


 そもそも,安定感を持った主審ならば,「試金石」をわざわざ用意などしなくとも,使いたくなるはずです。ビッグ・ゲームであるならば,使いたい主審は「使わなければならない主審」と同じ意味を持っていなければならないはずだし,「無理矢理に」使いたい,というのではゲームに不要な混乱要因を用意してしまうことにもなりかねません。


 「国際主審」だろうと,冷静さが保てないならば指名から当然外す。逆に,JFLや地域リーグなどで安定したレフェリングをしてきている主審は積極的に引き上げる。ごく当然のことを,JリーグやJFAがしてほしいと思いますね。