酷使されたフレーム。

最初は,スポーツ・メディア1社のみが報じていたものでした。


 最終節での交代は,フットボール的な「戦術交代」と言うよりもかつてのラグビーフットボール的な「負傷に伴う交代」という色彩が確かに強く,何らかのダメージを負っているのだろうとは思っていました。


 ただ,重傷という意識にまでは至らなかった。


 かつて,駒場であったり中野田で目の当たりにした状態よりも,まだ軽いものに感じられたからです。それだけに,スポーツ・メディアの記事をそのまま受け入れることはできなかった。


 ですが,浦和・ポンテがクラブW杯欠場(デイリースポーツ)という記事を見るにあたって,どうやら浦和というクラブのフレームが相当酷使されたことが明らかになったように思います。


 2007シーズン,戦力を絞り込みながら厳しいことが予想されるシーズンを闘うことをクラブは選んだわけです。それだけに,今季のコーチング・スタッフはこれまで以上に緻密なチーム・ハンドリングが要求されたはずです。はずなのですが,実際にはひとつひとつのゲームの重要性を強く意識してか,あるいはチーム熟成に掛ける時間が不足していたことを意識してか,ファースト・チームを構成するユニットをさらに小さく絞り込むことで戦術的なイメージを固めていく,という方法論を選択した。


 恐らく,浦和というチームのフレームを構成する選手はごく少数だったのでしょう。


 GKでは都築選手であり,DFでは闘莉王選手,ということになるでしょうか。また,最終ラインやディフェンシブ・ハーフ,時にはアウトサイドにまでポジションを変えながらピッチに立っていた阿部選手や,どんなに過密なスケジュールにあってもディフェンシブ・ハーフのポジションから離れることのなかった啓太選手もフレームだったはず。右アウトサイドで攻撃,守備両面に渡って浦和というフレームを構築してきた暢久選手,そして攻撃面で浦和をコントロールしていたロブソン・ポンテ選手。暢久選手もリーグ戦終盤,負傷によって戦線離脱を余儀なくされ,阿部選手にしても腰痛に悩まされながら何とかリーグ最終節にまでたどり着いた,と言うべきでしょう。そして今回,ポンテ選手までが長期離脱を余儀なくされる。


 ここまでフレームを疲弊させるほどに,少数精鋭の体制は脆弱だったのでしょうか。


 ならばなぜ,試行錯誤を繰り返していたシーズン序盤に覚悟を決めて,基盤を広げなかったのか。厳しいシーズンを小さなユニットで乗り切れるほど,甘くはないはず。ベスメン規定がある以上,チームを構築するフレームを全交換するかのようなローテーション,ハッキリ言ってしまえばターンオーヴァを仕掛けることは不可能だし,本格的なターンオーヴァを掛けるために必要となる戦術面の浸透を図る時間がなかったことは理解できる。それでも,少なくとも「2冠」を狙うことを意識してきたクラブが,そしてカップ・ホルダーとしてカップを防衛することをも視野に収めねばならぬはずのクラブが,「バックアップ」を軽視していた,というのは「少数精鋭」という意識が必ずしも徹底されていなかった,ということになる。


 ポンテという浦和の至宝に,ここまでの犠牲を強いた。


 その要因が,「少数精鋭」という観測に誤りがあったことにあるのか,それともコーチング・スタッフに「少数精鋭」の戦力を徹底的に活用するべく働きかけなかったことにあるのか。あるいはコーチング・スタッフがなにゆえに小さなユニットにこだわったことにあるのか。


 しっかりと見直し,国内,海外を同時に射程へと収められるファースト・チームを構築する,そのための基盤を強化してもらいたい,と思います。