対城南一和戦(準決勝第2戦)。

厳しいゲーム。本当に,厳しいゲーム。


 前半,アドバンテージをさらに固いものにした,かのように思えた。“アウェイ・ゴール”という存在を通して,すでにプレッシャーを掛け与えている相手に対して,より大きな意味を持つフィニッシュだと感じた。
 だが,最もラッシュを掛けられたくない時間帯に,「縦への鋭さ」を,真正面から受け止めざるを得なくなる。ボール奪取を仕掛けやすい,中盤でのボール・コントロールにはこだわらず,ごくシンプルに裏を狙うような動きを徹底するところから,“アウェイ・ゴール”を無効化される。


 「守備バランス」という部分で,確かに安定性を欠いた時間帯だったかも知れない。最終ラインへとボール・ホルダーを追い込んでいく,という形でのプレッシングが機能せず,チームの重心が最終ライン方向に引き寄せられ,その最終ラインがボール・ホルダーの持っているスピードを単独で受け止めなければならない状況に追い込まれる。


 この段階では,リズムを掌握されている,と言うべきかも知れない。ただ,このゲームでは相手へと傾いた流れを再び引き戻してみせた。


 ・・・リーグ戦では,“ゲームを巧みにコントロールする”という方向性での勝負強さを感じさせることが多いけれど,このゲームではそんな姿とは違う,相手をねじ伏せてでもリズムを再び引き戻してみせる,という強い「意思」のようなものを感じました。その意思がPK戦にも大きく作用したのではないか,と。


 ということで,いつも通りの1日遅れで城南一和戦であります。とは言え,いつも以上にまとまりを欠いておりますので,ちょっと短めに。


 このゲーム,戦術面であるとか,内容面が結果を分けたという印象はそれほど強くありません。もちろん,戦術的な部分も大きな意味を持ってはいますが,それだけではなく。


 スタジアムに足を運んだひとであったり,どこかでTVだったり結果を気にしながら,思いをスタジアムへと送っていたひと,そしてピッチに立っているひとりひとりの選手が持っている「意思」のようなものが,作用したのかな,と強く感じたわけです。


 フットボールという競技は,少なからず「不確かなもの」に左右される,かなり理不尽な競技だと思います。ゴールという結果を導くために,徹底して「戦術」などに代表される論理を組み立てようと,どこかで「何か」が作用する。もちろん,ロジックを緻密に組み立てなければ,ゲームを組み立てることも結果を引き寄せることもできはしない。戦術的に整理されていることは,確かに大きな要素であり,前提条件だと思うのですが,その「何か」を味方につけることができなければ,どんなにシッカリとしたゲームを組み立て,エレガントなフットボールを展開しようとも,勝負に勝つことができないのも,また確かだろう,と(U−22に関するエントリでも,書いたことですけど,ね。)。


 その「何か」を引き寄せようとし続けたことが,「何か」を呼び込んだのかも,なんてことを思うのです。強く望まなければ,そして望み続けられなければ,恐らく得られないということなのでしょう。


 「新たな高み」まで,あとひとつにまで迫った。本当に,楽しみであります。