「悲劇」と言う前に(U−22)。

「悲劇」だそうです。


 確かに,開催地はドーハだし,ゲームをひっくり返されて「勝ち点3」から0となった。
 ですが,カタールとのアウェイ・マッチが実質的な最終戦なのでしょうか。


 ラウンドロビンを戦っているのに,相手の戦い方を意識しないのはおかしい。残り2ゲームで,ポジションをひっくり返す可能性だってありますし,その大前提として「勝ち点3」を奪いに行かなければならない。


 「悲劇」なんて言葉は,可能性が完全に断たれた時にでも存分に使えばいい言葉で。
 まだ,ヘコむには早すぎる段階だと感じます。


 そもそも,フットボールという競技はある意味で論理を超えたところがある。結果を引き寄せるためには,しっかりとしたロジックを積み上げていく必要があるけれど,ロジックだけで結果を引き寄せられるという保証はどこにもない。むしろ,理不尽に敗戦を喫する可能性すらある。
 結果から逆算して,敗戦が必然だったか,それとも偶然だったかなどという話に興味はなくて,偶然(ハッキリ言ってしまえば「幸運」)を味方に付けられるようなロジックの積み重ね方をしていたか,という部分を考える必要があるのでは?なんて思うのですね。


 今回は,ちょっとスポーツナビ | 北京五輪への道|必然の敗戦(1/2) 北京五輪アジア最終予選 第4戦をもとに,ちょっと見直してみようと思うわけです。


 このコラムを担当された渡邊さんは,“マンツーマン・ディフェンス”に問題があったという指摘をされています。マンツーマン・ディフェンスによって後方からの攻撃参加が薄くなる,と。


 確かにそういう部分もあるとは思いますが,マンツーマン・ディフェンスと,攻撃面を分厚くするという部分は決して矛盾しないように思いますし,それ以上にボール奪取のポイントをどの位置に設定しているのか,そこに至るまでの追い込み方がどれだけ徹底されているか,も問題になると思うのです。


 ごく大ざっぱに言えば,プレッシングの掛け方がシッカリと共有されていない感じがするわけです。
 そのために,マンマーク・ディフェンスをするとしても相手ボール・ホルダーに対して余裕を持った守備応対が難しくなるし,攻撃の起点ともなるはずのボール奪取位置が明確さを欠いてしまうことになる。となれば,守備的な部分がディフェンスの持っている「個」に依存することになるから,ユニットが流動的に相手の攻撃を抑え込んでいくという,後方からの攻撃参加への前提が落ちてしまう。
 となれば,このチームが持っている攻撃的なタレントを必要以上に抑え込んでしまうことにもなる。


 マンマークだろうとゾーン・ディフェンスだろうと,プレッシングは必要不可欠な要素であるはずなのですが,ボール・ホルダーに対するファースト・ディフェンスの仕掛け方がぼやけているために,マンマークでの守備負担が強くなってしまうように見えるのです。
 ならば,積極的なフォア・チェックとともにエリアを絞り込む,あるいは対象を絞り込んでマンマーク,という方向性へとちょっとだけイメージを修整するだけでも,話が違ってくるように思えます。


 フットボールという競技は,「運」という要素に左右される。その意味では確かに理不尽だけれど,細かい部分のロジックを軽く見てしまえば,さらに理不尽な結果にさらされる。


 「戻るべき場所」という基盤をあらためて見つめ直していかないと,2ゲームが消化試合になりかねない。カタール戦をホントの「悲劇」,そのはじまりにしないための時間は,まだ残されているように思うのです。