不在を嘆くべきは。

たとえば。あなたがマンチェスターに住んでいたとして。


 オールド・トラフォードか,それともメイン・ロードに足を向けるか。どちらにしても土曜日の夜,“Matchday”を終えた翌日,最も気にする「新聞」は何でしょうか。サンデー・テレグラフでしょうか。それともサンデー・タイムズでしょうか。


 そんなことはないはずです。常に地元クラブの動向をチェックし,恐らくは「・・・番ならばこのひと」という名物記者さんが書くコラムであったり,戦評を確認するために,地元紙に手を伸ばすはずです。マンチェスター・イブニング・ニュースあたりでしょうか。


 地元紙,というのはそれだけ大きな役割を持っているはずなのです。


 そして,東京に求められる「Jの巨人」(スポニチワールドサッカープラス)というコラムを書いたひとは,バルセロナのことを具体例として書いてもいる。ここまで分かっているならば・・・,と思うのですね。


 ということで,ちょっと反面教師扱いのエントリであります。


 このコラムで中心に据えられているのは,「スポーツ紙」です。


 言ってみれば,UKでの一流紙,そのスポーツ版と同じような立場であります。テレグラフにせよガーディアンにせよ,あるいはタイムズにせよ、すごく充実したスポーツ版を持っています。特に日曜日に発行される新聞はビックリするくらいに内容が濃い。まさしく,テレグラフやガーディアンがスポーツ紙をセットにしてくれているようなものです。


 ただ,大きな問題も当然あります。


 彼らは「全国区」であることを意識して紙面作りをしているはずです。確かに,フェイバリットを持たない,あるいはフットボール・フリーク的に俯瞰してリーグ戦をチェックしたいときには便利かも知れません。だけど,特定のクラブを追いかけているひとにとっては,決して満足のいく紙面とは言えないでしょう。あくまで中心にあるのは,「オレたちのクラブ」であって,ほかのクラブなど興味の対象ではないのだから。
 それゆえに,徹底して「オレたちのクラブ」にこだわっている地方紙を手に取ることになる。ローカルであることが大きな意味を持つわけです。


 同じことではないでしょうか。


 たとえば,本社が東京にあったとしても「全国」を意識しているのであれば,そんなに深く特定のクラブを追いかけていくようなことは難しいはずです。となれば,代表という存在を経由してクラブを見る,という形にならざるを得ない。このときに問題とすべきは,「巨人」の不在ではなく,東京に本拠地を持つクラブを徹底的に追いかけ,マッチデイ翌日にはときに辛辣,ときにクラブへの愛情にあふれたコラムを書いてくれる記者さんがいる地方紙がないこと,ではないでしょうか。
 東京中日スポーツさんは確かに,東京に本拠を置くクラブを追いかけてくれているけれど,全国区的な視点を同時に持ってもいる。本来,クラブ目線を徹底するのであれば,東京新聞が追いかけていく,という形を取ってもいいはずです。むしろ,この形のほうが自然だとも思うのです。


 不在を嘆く対象が決定的に違う。そんな印象があります。