「掟破り」と多様性(アジアカップ回顧)。

やはり,「欠けてはならない戦力」ですね。


 もちろん,中澤選手は“オン・ザ・ピッチ”の能力を考えても必要不可欠なフットボーラーです。
 ですが,こちらの記事(サンスポ)を読むと,「最も指揮官の意図を読み取ったプレイヤー」ということも言えるように思います。


 ということで,今回はアジアカップ2007回顧など。


 3連覇,という目標を現実的に捉えるのであれば,転換点は恐らく準々決勝ではなかったか,と思います。特に,数的不利に陥ってからのオーストラリア守備ブロックは,物理的にスペースを消し去る方向性へとシフトしてきました。日本のスタイルを考え,現実主義的な姿勢を打ち出したわけです。


 ここで「結果」を最重要視しているのであれば,ちょっとだけ戦術を現実主義的な方向へと微調整していくのではないか,と思ったわけですが,実際には,(最大限好意的に解釈して)「必要最低限」な戦術交代を仕掛けるにとどまっていました。
 また準決勝では,対オーストラリア戦を踏まえてリアリスティックな方向へと戦術を微調整する,という姿勢があっても良かったのではないかと思うのだけれど,実際にはこれまでのスタイルを踏襲していた。さらに言えば,3位決定戦にあってもスターターをほぼ固定し,結果的にはQFの忠実なリプレイを(結果は別として)してしまうことになる。


 無策,という評価も恐らくは成立するし,戦術交代を積極的に仕掛けていかなかったという部分での非難も成立するように思います。結果にこだわるべき大きなトーナメントで,その結果を積極的に追っているようには見えなかったのですから。


 ただ同時に思うのは,かなり明確な「メッセージ」があるのではないか,ということです。


 徹底的にスペースを消し去り,パス・コースを潰しにかかってきた相手守備ブロックに対して,どのような手を打つか。チームとして構築してきた戦術的アプローチだけで局面打開が厳しいときに,どのようなオプションを打ち出してくるか。あるいは,どのようなプレーを選択すべきか,という部分を選手サイドに委ねてみたのではないか,とちょっと思うのです。


 であるならば,以前憲剛選手に対して指摘したこととはまったく逆のことを意図していたのですから「史上最強のタヌキ」とでも表現すべきところですが,実際には同じ構図の中にあるかも知れない,とも思うのです。


 個人的な印象ですが,選手ひとりひとりの持っている「反発力」のようなものを引き出すつもりだったのでしょう。ただ,トゥルシエのようにあからさまな挑発,という形を取るのではなく,心理ゲームを挑むかのように仕掛けてきたのではないか,と思うのです。


 “polyvalent”という言葉はポジション的な部分を意味する言葉として,どこかひとり歩きしてしまっているように見えます。


 しかし実際には,複数のポジションをこなせる資質を持っていることではなく,局面に応じた柔軟なプレー姿勢を取れる,という意味での多様性こそが求められているのではないか,と思うのです。チームとして拠って立つべき戦術的な約束事だけで局面が打開できないときに,それでも同じ戦術的な約束事から逸脱できないというのは,「柔軟性を欠いている」ことになる。時として,チーム戦術を機能させるためには積極的な「掟破り」が求められるとも思うのですが,その「掟破り」を待っていた,と見ることもできるように思うのです。
 前任指揮官は,シンプルに「自由」を捉えようとした。対して,現任指揮官は基盤として戦術的な約束事を徹底すると同時に,実戦という舞台において「自由」が持つ意味を意識させようとしたのではないか。


 やはり,表面的に「敗戦」だけを捉えていては,この指揮官の意図はつかみきれないようにも感じます。