対サウジアラビア戦(アジアカップ2007・SF)。

選手ひとりひとりの「応用力」が本格的に試されてしまったゲーム。


 ごく大ざっぱに言ってしまえば,そんな印象を持っています。


 アジアカップ準決勝・サウジアラビア戦であります。


 いわゆる,「前後分断型」フットボールを徹底してきた相手であります。


 程度の差こそあれ,アジア諸国は日本を相手にカウンター攻撃を意識したゲーム・プランを持っているように思いますが,サウジアラビアを考えるとそのゲーム・プランがさらに徹底されているし,ひとりひとりのポテンシャルを徹底的に引き出す,という方向性にも合致している。最もパワフルなカウンター攻撃を仕掛けてくる相手,であります。


 そんな相手に対して,「真正面から」自分たちの持っている戦術をぶつけ過ぎたのではないか,と思う部分があるわけです。


 移動がなかったにしても,比較的短期間での連戦ですからコンディショニングは難しい。疲労が蓄積していると見てもいい。また,「結果」がすべてを左右するノックアウト・ステージにあっては自分たちの持っている強みを存分に表現することと同時に,相手の持っているゲーム・プラン(もちろん,強みへと直結する要素だと思いますが。)を抑え込むことも求められる。グループリーグの段階でも,“対カウンター攻撃”という部分がチームの課題として見えてはいましたが,この準決勝では中盤を省略されてしまうことで,組織的な守備が機能低下をきたしてしまった。


 たとえば。オーストラリアだとボールを奪取してから中盤でボールを収めるポイントがありましたし,日本にとってはファースト・ディフェンスを仕掛けていくポイントがあったわけですけれど,サウジはさらにシンプルに,前線へのパスを繰り出してくるわけです。当然,前線はスピードに乗った状態でボールを収めようとしますから,ラインを上げていた場合にはパス・レシーバを後方から追い掛けるような形になってしまい,守備応対がギリギリの状態になりやすい。クッションを置かない状態で相手の攻撃にさらされることになる。


 ある意味,相手のツボに収まってしまったような形に見えたわけです。


 攻撃面で「自分たちの形」をなかなか表現しきれなかったことで,守備面での負担増を招いてしまった。このときに,どのようなオルタナティブをつくれるか,ということがこれからの課題でしょう。


 もちろん,ゲーム・プランや戦術交代などの部分でも必要な要素でしょうが,チームのコンディションを皮膚感覚で理解できるのは,実際にピッチに立っている選手たちのはず。彼らがどれだけの引き出しを持ち,その引き出しを巧みに使い分けられるか。


 チーム構築段階であれば,現段階で引き出しが少ないのはある意味仕方ない。指揮官の言う「負けて得るもの」,その最たるものがサウジとのゲームにはあったと見るべきかも知れない,と思っています。


 ・・・書き出しで「選手ひとりひとり」と書いて,「チーム」とは書かなかった理由。


 指揮官の意図を深読みしたくなってしまうからなのです。「負けて得るモノ」というフレーズを比較的多く使いながら,実際には勝負に勝つ,ということに強いこだわりを持っている。そんなひとが,徹底したカウンター攻撃を仕掛けてくるサウジアラビアに対して,自分たちの強みだけを押し出した戦い方「だけ」を意識させるとは考えづらいわけです。ちょっと,不思議な感じがあるのです。


 言うまでもなく仮定論ですが(それゆえ,オマケ扱いです。),選手が持っている戦術的なイメージの広がり,そして柔軟性を意識したのではないか,と思うのです。つまりは,指揮官が浸透,徹底させた戦術から積極的に外れる,ある意味で「掟破り」を期待したのではないか,と思うわけです。・・・どっかで見た構図ですけど。ああ,懐かしのタヌキ。


 もちろん,ベンチワークによって戦術的なメッセージをこれ以上ないほど明確な形で表現することもできるはずですが,そのための戦力がアジアカップへと帯同できたか,と言えば難しい。ごく大ざっぱに言えば,いまのチームは「横」を基盤としながら「縦」を作り出す方向性。となれば,ギア・チェンジの方向性は「縦」の鋭さを基盤として「横」をアクセントにしていくということになるでしょうか。


 段階的にチームを強化している,その過程としてアジアカップを見るならば,サウジ戦は「どういう戦術的な上積みが必要か」という部分を示す(意図して示させたのか,それとも偶然だったのかは別にして)ゲームだったか,とも思うのです。