Oscar Nominee.

当然,主役はピッチに立つ選手たちなのですから,主演男優賞候補ではない。


 そのものズバリ,の監督賞候補かも知れないけれど,主役を光らせるためのパフォーマンス,と考えるならば,助演男優賞候補という見方もあるかも知れない。


 と言いますか,ビックリするほどのことはないと思いますね。
 コーチング・スタッフならば,至極当然のことだと思います。


 恐らく,Jリーグならばこのような致命的なミスにはならないかも知れません。そもそもボール・ホルダーに対するショルダー・チャージにしても勝負のひとつ。だけど,ショルダー・チャージを仕掛けるポイントが自陣に近過ぎたことで,相手にファウルを誘われるような形になった。厳しく見れば,隙になるのかも知れない。
 また,FKに際して,構築した壁に相手選手が入ってしまっている。それだけでなく,その相手選手に壁が部分的に壊され,その決壊した部分を狙われてしまう。勝負のディテールにこだわらなければ,真剣勝負の舞台ではやられてしまう。


 そんなネガティブ・イメージを引きずってドレッシング・ルームへと引き上げてきたのであれば,どんな手段を使ってでもそのネガティブを払拭しなければならない。誰のミスであるとか,誰の責任であるなどということとは関係なく,気持ちを前に向けさせるために怒りのパワーを最大限に引き出すべく意図的に挑発的な言葉をぶつけてきた,と見るのが妥当なはずです。


 恐らく,お察しのことだと思います。


 スポーツ・メディアがこぞって取り上げているネタであります。こちらの記事(nikkansports.com)は,浦和担当もされている藤中さんが端的に書いてくれているのですが,


 もしかすると監督の怒りは、落ち着いたムードが漂っていたチームに火を付けるための計算ずくのパフォーマンスかもしれない。


という見方が合っているのではないか,と思うのです。


 かつて,ハンス・オフトは対戦チームのスターティング・ラインアップが記載されたリリースを選手たちの目の前で破ってみせたと言いますし,フィリップ・トゥルシエも意図的に選手を挑発するような指導をしていました。ある意味,「役者」的な部分があると思うのです。
 プライドをくすぐる,という方向性をどちら側から見るか,という違いではないかと思うのです。オフトはポジティブな方向からプライドに訴えかけ,トゥルシエはネガティブな方向に働きかけるようにプライドを刺激してきた。反発心を期待していたのだろう,と思うのです。


 同じことではないか,と。


 通訳さんは恐らく,フットボールが心理面が大きく作用するゲームであり,どういう方向からであるにせよ,心理面を巧く操作できない限りはチーム・ハンドリングが成立しない,ということを完全には理解できていなかったのでしょう。浦和の通訳である山内さんだったり,ジーコの通訳を務めていた鈴木さんのように,「自分が監督になったつもり」で役を演じなければならなかったはず。
 ディテールの甘さを残したままにファースト・ラウンドを戦っていくのであれば,勝ち点2を失うという犠牲を払いながらもディテールの甘さを直視し,チームとしてブラッシュ・アップしていく機会を得たという事実の方がマシ,ということが「次につながること」である,と思うのです。


 3冠などと楽観できるような状況にない。だが,同時にドローという結果だけを捉えて徒に悲観論に傾く必要もまたない。そんな感じがしますね。


 ・・・とは言え,木村さんの手になる「あの書籍」を読む限りでは,本気で怒っている可能性も否定はできませんがね。あらゆる可能性を考えたくなる,というのがタヌキの証,かも知れません。