「多様性」。

もとは化学用語だとか。


 “ポリバレント”,という言葉であります。


 イビツァさんが日本代表の指揮官に就任して以来,ちょっとひとり歩きしている感の強い言葉であります。スポーツ・メディア的には,「複数のポジションをこなせること」なんて形で意味をとっているように感じますが,「ホントにそれだけか!?」と思う言葉であることも確かです。


 ならば,ユーティリティという既存の言葉を使えばいいだけの話です。


 たとえば,オリンピックなどのように登録メンバーに厳しい制限がかかるような大会では,どうしてもメンバーを絞り込んでいく必要に迫られ,結果としてユーティリティに富んだ選手が選出される傾向が強いように思います。
 ですが,ユーティリティ性だけが強く押し出されることで,チームとしての「色」(個性,という言葉かも知れません。)を失ってしまう,というリスクを背負うようにも感じられるし,チームが「闘う集団」として機能するための重要な前提を落としてしまうようにも感じられる。
 選手ひとりひとりのパフォーマンスであったり,ポテンシャルを数値化するならば,恐らくユーティリティ性の高い選手の方がよい成績を残す,かも知れません。ですが,フットボールは持っているパフォーマンスを単純に加算していくだけで成立する競技とは思えない。「使い,使われる」という関係がシッカリと機能しない限り,ひとりひとりの能力がチームとしてのパフォーマンスへと束ね上げられることはないし,プラスアルファが加わっていく可能性も下がっていくに違いない。


 であるならば,ユーティリティという言葉を使わず,ポリバレントという言葉を使うには,確固たる根拠があるに違いない。と思っていると,その意味を読み解くヒントが“Number”誌(682号)に落ちておりました。


 “Number”誌の特集記事,その中に高原選手へのインタビューを中心に構成された木崎さんのコラムが掲載されています。その中で,高原選手はイビツァさんが多用するトレーニング・メソッドに関して興味深い指摘をしていますし,現在グルノーブルのGMをされている祖母井さんも高原選手のコメントを補強するような証言をしています。


 「状況判断力を引き上げること」。


 この要素があってはじめて,「多様性」という言葉が実質的な意味を持つように思いますし,「自己主張」という要素も決して落とせない要素であるように思います。


 FWであってもDFの要素を,というのは,ボールを奪われた直後の守備応対がどれだけタイトに仕掛けられるか,がショート・カウンターを仕掛けるにあたって大きな要素を持つことになるということを意味している言葉だろうし,DFであってもFWの要素を,というのは局面によってはポジションを積極的に崩し,攻撃を分厚くしていく,という意図を裏返すもののように思えます。
 複数ポジションをこなせること,などという表層的な意味ではなく,状況(局面)に応じて,自らが持っているスペシャリティ以外のプレーを柔軟にこなすことができること,を「多様性」として位置付けているのではないか。この要素があることで,「使い,使われる」幅は大きく広がっていくはずです。


 であるならば,イビツァさんは選手が持っている“スペシャリティ”を否定するつもりもないだろうし,恐らくピッチで選手たちが柔軟にアイディアを付け加えることを待っているのではないか,と感じます。彼が日本代表へと持ち込んだトレーニング・メソッドは,それ自体が目的なのではなく,「何かを引き出す」ための前提に過ぎない。


 アジアカップという猛烈な負荷が掛かる舞台で,恐らくチームは熟成スピードを速めるはずです。その中で,どんな化学反応があり,何が引き出されるか。当然,リアリスティックに結果を求めることも必要ですが,個人的な興味としては「化学反応」という部分の方が大きかったりもします。