現実思考とカップ戦。

“プライオリティ”という言葉を念頭に置くならば。


 リーグ戦は,冷酷なまでにクラブ,そしてチームが持っている総合力を反映するところがあるように感じます。また,「降格」という,どうしても意識しなければならない現実もあります。降格という事態が現実となれば,単に戦力流出を招くだけでなく,クラブ・マネージメントにまで大きな影響を与えかねず,最大限降格という事態を回避するべく勝ち点を積み重ねたい,という意識はどのクラブ,特に昇格初年度であったり前年度のリーグ成績が下位にとどまったクラブにはあるはずです。それだけに,コーチング・スタッフがリーグ戦を最優先に捉えることを否定できないところは,確かにあります。


 鋭いスタート・ダッシュを決めることができたとしても,その加速態勢が続くとは限らない。


 むしろ,程度の差こそあれ失速を経験することになる。サスペンションや負傷によって,ベストのパッケージを維持できないことも,当然のように想定しておかなければならない。そのときに,失速を最低限度に抑えながら,どう「勝ち点3」,あるいは勝ち点1を奪取していくか。あるいは,チームとしての戦術的なイメージが微妙なブレを見せたとき,どれだけ迅速にブレを修正し,チームに心理的なダメージを与えないようにするか。


 これらの要素を考えれば,戦術的なイメージをできるだけ多くの選手が共有していること,そして特定のタレントにチームのパフォーマンスが依存していないチームを構築する必要性がある。


 恐らく,大幅な戦力入れ替えの背景には,こんなロジック・フローがあるような感じがします。そして,柏また先発大シャッフル…今度はJ規定ギリギリの5人(スポーツ報知)という記事にもあるように,予選リーグ第4節を前に,同じように大幅なスターター入れ替えを意図しているのだとか。


 前回,最強規定と「奇策」。というエントリで,石崎監督が意識しただろうロジックを推理して,確かに理解できる部分もあるな,というニュアンスのことを書いています。ただ,同時に思うこととして,“カップ戦は本当に軽視されるようなものか?”という部分もあります。そこで,今回は,ちょっと逆方向からメンバー入れ替えを考えてみよう,と思うわけです。


 浦和がリーディング・クラブとしての地位を固める,その前提に“ヤマザキナビスコカップ”という存在があったような気が,個人的にはします。


 文化の日,国立霞ヶ丘にはじめて駒を進めたのは,2002シーズンのことです。


 確固たる基盤を持たずに,揺れ動き続けていたクラブに,明確に「戻るべき場所」となる基盤を作り上げるために,森孝慈さんはハンス・オフトの招聘に動きます。彼がファースト・チームを率いた初年度だったわけです。


 このとき,クラブは“ラスト・ルーザー”となるわけです。


 思えば,このとき準優勝に終わったことが,その後のクラブの方向性を決定付けたように感じるのです。“タイトル”という存在が現実的な目標として設定されると同時に,ハンス・オフトが徹底してきた,組織という要素を前面に押し出した(それゆえに,守備に傾斜した前後分断型フットボールという評価も受けはしましたが)方向性が間違ってはいない,ということを確認できたようにも感じます。そして,2003シーズン,クラブはついに“カップ・ウィナー”という称号を手にすることになります。クラブが,“タイトルを常に射程に捉えられる存在”に近づく,その第一歩が,2003シーズンだったように感じられます。


 このとき,“浦和がヤマザキナビスコカップの位置付けを変えた”というニュアンスのコメントを聞いた記憶があります。確かに,それまでの国立霞ヶ丘は,“カップ・ファイナル”という言葉とはちょっとズレを生じている,リーグ戦のような華やかさとは違う雰囲気を持っていたような記憶がありますが,浦和が国立霞ヶ丘に進出してから,確かに華やかさが増したようには感じます。


 しかし,最も重要な要素はスタジアムの華やかさだけではなく,“on the Pitch”にこそ求められる,と思うのです。前任指揮官であるギド・ブッフバルトの基本姿勢でもありましたが,「存在するタイトルは,すべて狙いに行く」という姿勢です。


 もちろん,総合力が厳しく問われるリーグ戦,その頂点に立った証である“League Champions”という称号と,どれだけ早い段階で加速態勢を整え,トーナメントを駆け抜けることができるか,という部分が問われるカップ戦,その覇者である“Cup Winners”という称号とは重みが違う,という主張も理解できます。しかし,ヤマザキナビスコカップのことを思えば,リーグ戦の日程と,カップ戦の日程とが完全に分離されているわけではありません。むしろ,連続性があると考えるべきかも知れません。


 そのときに,スターターを大きく変更することで,ファースト・チームが刻みはじめたリズムをともすれば断ち切ってしまう,というリスクを背負うことにもなる。当然,コーチング・スタッフとしてはリスクを最小限に抑えながらスターターを組み替える,という判断を下すのでしょうが,“リーグ戦に向けた調整”と位置付けたカップ戦において,リーグ戦に影響を及ぼしかねないようなゲームをしてしまう可能性も皆無ではありません。


 難しいハンドリングを強いられるだろうことは容易に想像できますが,少なくとも予選リーグで敗退してまでも,リーグ戦で安定した戦いができるか,と考えると,予選リーグ通過を確実にできるまでは,ベストに近いパッケージを維持する必要もあるのではないか,と感じるところもあるのです。また,「タイトルに対する渇望感」が,チームを強くする要素であることも,見逃せない要素だと思うのです。


 リーグ戦で,安定した成績を残すことも,確かに重要だとは思う。同時に,プロフェッショナルならば「タイトルを奪いに行く」という姿勢を常に崩さないことも,また重要なのではないか,と思う。ファースト・チームにかかる負荷は,確かに大きくなるに違いない。しかし,その負荷を超えたところに,クラブがさらなる強さを獲得する,そのきっかけがあるように思うのです。そして,どれだけクラブが強いチームを求めているか,その思いの強さが試されているようにも感じます。


 カップ戦のタイトル,その持つ意味はファースト・チームや,クラブが最終的に決定付けるもの,であるような気がするのです。