原点回帰。

「共に闘い、共に頂点へ」。


 2006シーズン最終盤,浦和が打ち出したキャンペーン・スローガンです。


 本拠地,という言葉が相応しくなってきた埼玉スタジアム2002のキャパシティを最大限に生かして,高みへと一気に駆け上がろうというキャンペーンでありました。このキャンペーンが終了するとき,確かに中野田は「要塞」となっていました。


 表面的に見れば,マーケティング主導の発想のように映ったかも知れません。つまり,埼玉スタジアム2002への誘導を意識したキャンペーンでもあるのですから。


 清尾さんのコラム(Weps打ち明け話・さいしんオフィシャル)にもあるように,いまのボスである藤口さんは「原点回帰」ということを意識して,このキャンペーンをはじめたようです。ただ,清尾さんのコラムからは,藤口さんが「原点回帰」を意識するきっかけまでは推察することはできませんでした。


 そのきっかけを,大住良之さんが「サッカー批評」誌でまとめておられます。


 営業妨害にならない程度にそのきっかけを書けば,「視点」にあったということになりそうです。よく,フットボール・クラブにかかわるひとたちを総称して“ファミリー”などという表現を使います。その基盤にあるべきものが,クラブが成長する過程において希薄化しかけている。そんな懸念を藤口さんが抱いた、と大住さんは指摘します。そこで,浦和に生活し,働くひとたちに直接働きかけるべく,大規模なキャンペーンを動かすことになる。ポスターを直接配布することにはじまり,街路灯へのバナー掲示など。そして,クラブがこのキャンペーンによって投じた石は,サポータという存在を通して波紋のように広がっていく。


 Jリーグという形態に移行してから,まだ15年も経過しているわけではありません。同じタイミングに生まれた子供ではあっても,その育ち方は大きく違ってきている。「個性」が見えてきた時期,という表現でも良いでしょう。


 だからと言って,「地元」を強く意識した姿勢を崩して良いということにはならない。むしろ,地元で新たに興味を持ってくれるひとを掘り起こしていく,気にしてくれているひとには,その意識をさらに強くしてもらうという作業を繰り返していかないと,自分たちが立っている基盤を,自分たちから弱めてしまうことにもなりかねない。


 「強さ」が導くものは,確かに大きいと思います。


 ですが,それだけがクラブの魅力を決定付ける要素というわけではない,というのも確かでしょう。縁あって,浦和を本拠地と定めたフットボール・クラブがある。そして,浦和という土地は,フットボールを愛するひとたちに恵まれてもいた。それでも,このハッピーな関係は,当事者の弛まぬ「努力」がないと維持・発展させることは難しい,ということなのだと思うのです。


 この姿に,特別な要素は確かにありません。


 浦和のように,フットボールに対する理解が深い土地柄ではない。このような言い方をするひともいるかも知れません。ですが,フットボールに対する理解が深いかどうか,ということから直接に,地元のひとたちに積極的に働きかける必要なんてない,などという結論は導けるものではないでしょう。むしろ,浦和以上の熱意を持って働きかけていかなければ,地元のひとたちにクラブを意識してもらうことは難しいでしょう。


 藤口さんになってから強調される単語,“Together”。この言葉は,「原点回帰」という意味を含んでいるのだろうな,と思います。