秩父宮のことなど。
と言っても,日本選手権には「まだ」踏み込まずに,「競技場」としての秩父宮を見てみようと。
ごくカンタンに意図をばらせば,プレビューをかねて書いてみようかな?と思っているわけです。ともすれば,退任を決めている指揮官に最後のタイトルを,という高いモチベーションのためにラフなゲームになりかねないような気もどこかでするけれど,ヴェルブリッツ,ブレイブルーパスともに持っているポテンシャルは高く,そのポテンシャルを解き放つための条件はそろっている。ならば,決勝に向けてどう出てくるか,という見方もしてみようかな,ということで。
この時期,検索でお越しいただける方が多くなるんですが,ちょっとだけお待ちいただけると幸甚でございます。と,ちょっと店主よりごあいさつ。
どうしても,秩父宮ですと“スタジアム通り”から入っていかないといけないのかな?なんて思いがちです。実際には,青山通りから神宮絵画館へ抜ける銀杏並木(セランがある例の通りですな。),そこからテニスクラブを脇に見ながら秩父宮へ向かうこともできるんですよね。
ただ,何となく「裏口からコッソリ競技場へ入る」ような感じもします。
チケットチェックのためのスペースにしても,そんなにハッキリしたものが用意されているわけではないし,門扉にしても鉄板が打ち付けられた,「通用口!?」と思うようなモノが付いているせいか,どうしても地味な感じがぬぐえない。と言いますか,ゲーム終了後に多くの観客をスムーズに退出させるための出口を入り口に無理矢理転用しているような感じさえしたりするわけですね。
・・・と言って,スタジアム通り方向から秩父宮に入っても,バック・スタンドやサイド・スタンドのチケットを持っている場合には,JRFUハウス脇の地味なスペースでチケットチェックを受けるのだから,似たり寄ったりではあるのですが。
そもそも観客収容数がそんなに大きくはない競技場ですから,多くの入り口を用意する必要性を感じなかったのかも知れませんが,それにしても,「代名詞」の競技場なのに,いささか寂しい気もするのです。
とまあ,チケットチェックをくぐって中に足を踏み込んでいく。と,ラグビー・フットボール専用の競技場だけが持っている,何とも言えない雰囲気が漂っていることは間違いないな,と思うわけです。典型的なシューボックス・スタイルの競技場がそこにあるわけですね。
「代名詞」としては,ちょっと小さい感じもするのですが,それ以上に「もったいない」と思うのはピッチ・コンディションであり,「何か足りない」と思うのは“フラッドライト”なのです。
秩父宮というのは,ホントに段階的な改修を経て,いまの姿へと変わってきています。ちょっと前の秩父宮では現代的なディスプレイはなくて,「得点表示板」という表現がピッタリくるようなモノが設置されていました。いまでも,ディスプレイの表示がちょっと以前の選手表示だったりを思い出させるところがありますが,実にシンプルなモノでありました。
また,バック・スタンドも座席が設置されているエリアは真ん中付近に限定されていて,バンク付近のエリアは手すりだけが設置されている,「テラス」状態だったんですよね。
最大限好意的な解釈をすれば,「イングランド的な文法に忠実」ということになるのでしょうけれど,現代の競技場に求められる快適性からは,ちょっと遠いところにあった時期が長い。その快適性がアップデートされてきたのだから,今度は競技環境にもアップデートを,と思うわけです。
まず,ピッチ・コンディションですが。やっぱり「秩父宮」が酷使されている,ということになるでしょうか。ブレイクダウンだったりスクラム,モールをイメージしても,ピッチには優しくない競技であります。でも,大学リーグ戦やラグビー・トップリーグでも「1日2ゲーム」がディファクトです。見に行くひとにとっては「グリコな話」であって,メリットも大いにあるのですが,ピッチが回復する時間が足らないだろうな,と。もうちょっと,負荷を減らしてあげてもいいかな?と思うところです。
次に,照明設備です。ラグビー・フットボールのシーズンは基本的に冬です。結構早い時間帯で暗くなってくるし,そもそも雨や曇りだと,日中であっても十分な明るさを確保できないこともある。そんな状況を回避するには,やっぱり照明設備が欠かせないような気がするのです。
2016年の東京オリンピック招致活動がどう動くか,によって,秩父宮だけでなく,国立霞ヶ丘競技場も含めて神宮エリアが大きく変わる可能性があるとか言います。ひょっとすれば,国立霞ヶ丘がセイン・ピスタ化されて,ラグビーを含めた“フットボール”専用競技場へと生まれ変わるかも知れないけれど,古くからのラグビー・ファンのひとにとっては,「秩父宮」という場所は強い思い入れを持つ場所でもあるはず。どういう形で秩父宮の競技環境がアップデートされるのか,というのは結構大きな問題であるような感じもするのです。