やっぱり、カッティヴェリア。

直訳してしまうと,「悪意」だとか「悪行」ということになるそうですが。


 しかし,この直訳が示す「悪意」は含まれているのかも知れないけれど,悪意という要素だけで説明することはできないし,単なるエゴだったり利己主義的な考え方とも明らかに違う。少なくとも,「個」を殺してチームを生かすという方向性とはまったく逆方向で,「個」を誇示する。するのだけれど,自らの個を誇示するためには,自分の得意分野を自分自身が理解しておく必要があるし,その得意分野に対する確信が深いことが前提条件になる。そして,その個を誇示することで,相手に自分のスタイルを認めさせ,生かし方をイメージさせる。


 そんな,生かし生かされの関係の前提が,カッティヴェリアだそうです,ということを「「カッティヴェリア」を活かせ。」というエントリで書いたことがあります。


 ちょっと古めのエントリなのですが,これを書くきっかけとなった松原耕二さん(TBSニューヨーク支局長)の長編エッセイ,そこで紹介されていた塩野七生さん(『ローマ人の物語』で有名な,ローマ在住の作家さん)のお話は,かなりのインパクトがありました。そのインパクトを早大生、バレンシアで受けた洗礼(スポーツナビ)という,小澤一郎さんのコラムを読んでいて,ちょっと思い出したというわけです。


 ちょっと今回はそんな話など。


 早稲田大学ア式蹴球部の選手が,バレンシアのトレーニングに参加してるよ,という話はスポーツ・メディアさんでも扱っていたので,表面的には知っていたのですが,小澤さんのコラムを読むと,考えておかなければならないものが見えるような感じがします。


 ちょっと引用してみますと。

 山本はボールを持った時には、「オレにパスを出せ」と必ず近寄るアーロンに対していつもそのタイミングでパスを出していた。だが、逆にアーロンがボールを持っている時に、山本が良いポジショニングをしてフリーで「ヘイ、ヘイ」とパスを要求しても、そのタイミングでパスが出ることはなく、アーロンは自分で強引にドリブルを仕掛けてことごとくシュートを外していた。


 ・・・フィニッシュを外しておいて,ボールを出さないのもどうかと思いますが,出さないことに対して罵声を浴びせないのもどうかと思うし,フィニッシュに信頼性が足りないと思うのであれば,自分から積極的にフィニッシュを狙いに行くべきだとも思うわけです。少なくとも,アーロンにいいツラをさせるためにプレーしているわけではないはずです。最終的な目標は,チームが得点を奪取し,ゲームに勝利すること以外にないわけです。そのために,自分が仕掛けるほうが間違いない,と思うならば徹底的に仕掛ければいいし,ほかの選手を活かした方がいいとなれば,パスを繰り出す。その発想が大事かな,と。


 「個」を無理に抑え込んでまで,合わせるわけではない。


 プロフェッショナルならば,誰しも自分がピッチに立ちたいと望むし,ピッチに立てば自分が活躍したいと望むはずです。当然の心理でしょう。ですが,フットボールは同時に団体競技でもあります。ひとりの能力だけで,すべての局面を打開できるはずもないし,ひとりひとりの特性が異なっているのも間違いないところです。たとえば,ディフェンシブ・ハーフにしてもチェイシングからボール奪取に特性を発揮する選手もいるし,ボールを隠す動きから大きくボールを散らすことに適性を見せる選手もいます。その個性を理解するには,持っているパフォーマンスを最初から徹底してぶつけ合う必要があるはずです。


 徹底的に「個」をぶつける中から,お互いの戦術イメージが同調していく。その中から,チームとしての最適な戦術パッケージが見えてくる。


 実を言えば,昨日のエントリで相馬選手について書いたことは,要するにこのことなのです。


 クラブ・チームならば日常的にトレーニングをこなしているから,徹底的な自己主張を最初から押し出さずとも,持っているプレー・イメージは伝わっていくかも知れないけれど,代表ではそんな時間的な余裕はありません。どれだけ短い時間で自分のスタイルを認めさせるか。ここにかかっている部分も多いかな,と思うのです。ならば,表面的に見てしまうと「悪意」があるかも知れないけれど,徹底して自己主張してほしいと思うわけです。それだけ,期待値が高いということでもあるのですが。


 山本選手の例に戻れば。


 最初から要求に応えるかどうかは難しいけど,「常に」アーロンにボールを出すことはなさそうだな,と感じます。それに,山本選手がフィニッシュに入るとして,得意なレンジであり,エリアがあるはずです。そのエリアをアーロンに“力ずく”であるにせよ,理解させる必要だってあると思うのです。そんな姿勢は,チームを作り上げていく過程にあって,必要不可欠なものではないか。そんな部分を意識したのであれば,この短期間の練習参加だって,大きな意味を持つはずだと思うのです。