Gatewayではあるけれど。

“European Cup(欧州カップ戦)”という名称から,“UEFA Champions League”へと呼称が変化したことで,国内リーグ戦の位置付けが大きく変わってきた。


 国内リーグ戦を制し,マイスター・シャーレを掲げる,あるいはチャンピオンズ・カップを高く掲げることも名誉なことなのだけれど,それ以上にチャンピオンズ・リーグへの出場権を獲得し,欧州でのプレゼンスを引き上げることが可能になる,という部分がメリットとして位置付けられるようになる。また,リーグ戦によっては本戦からの出場権が付与されず,予備予選からの出場権を確保するにとどまるケースもある。一方で,フットボール・ネイションと呼ばれる国のリーグ戦においては,複数のクラブが本戦からの出場権を付与される。欧州全体がひとつのリーグ戦を戦うようになり,その中での地域間格差が生まれているかのような印象を与えているようにも感じる。


 ・・・フットボールを取り巻くポリティカルな部分だったり,クラブ・マネージメント的な部分だけを抽出して考えれば,こんな感じになるのかも知れませんが,個人的には「比較対象」にするだけヤボ,のような気もします。


 確かに,フットボール・ネイションの強豪クラブ,彼らがピッチに表現するフットボールは魅力的なものがあります。戦術的な熟成度が高く,そしてその戦術を理解し,時に即興性を織り交ぜながら自己表現をするひとりひとりの選手。“エンターテインメント”としてもすごく完成度が高いし,そのエンターテインメントを演じるキャストに,という意識は理解できる。ならば,“Gateway”という意識があるのもおかしくはないし,それを否定すべき理由もない。[欧州を行く] 三都主と宮本が開ける扉。(goo スポーツ:NumberWeb)という,木崎さんのコラムを読んでいて,そんな感じを受けもしました。


 ですが,スコティッシュ・プレミアの例をひくまでもなく,クラブを追いかけているひとは欧州での活躍以上に“クラブとしてのアイデンティティ”であったり,継承していくべき伝統を強く意識しているようです。


 セルティックでプレーする中村俊輔選手が「日本」を意識したような発言をした,その真意は恐らく“アイデンティティ”であったり,拠って立ってきた伝統であったり歴史を尊重していく,サポータであったりフットボール・フリークの姿勢に感じるところがあったからではないか,と思ったりします。


 個人的に,彼は“フットボーラー”としてより高い水準を目指していく,ちょっと「求道者」のような印象を受けてもいましたし,リーガ・エスパニョーラでのプレーに徹底してこだわっているようにも受け取れた。でも,すでに彼はセルティックで「特別なひと」として意識されるようになっている。セルティックに流れる歴史,その歴史にひとつのチャプターを用意されるようなひとに。その空気は,俊輔選手の何かに響いたのかも知れません。


 欧州では,オーストリア・リーグは決して主流ではありません。


 ラピド・ウィーンにせよ,シュトルム・グラーツにせよ「過去のクラブ」という部分が残念ながら強いし,それだけにレッドブル・ザルツブルクが強豪クラブとしての階段を駆け上がっていくことも可能になる。


 その実績を引っさげてより高い舞台へ,というのもフットボール・フリークとして,そして浦和というクラブを追いかけているものとして感じるのですが,同時にザルツブルクにとって「特別なひと」という地位を固めてほしい,というのもどこかに感じるのです。


 願わくば,アレックス選手のフットボーラーとしてのキャリア,そのピークが山脈のようであり,セルティックにおけるヘンリック・ラーションのようなポジションを確立してほしい。ザルツブルクにおける左サイドと言えばアレックス,そんな共通認識がザルツブルクを追いかけるひとたちに生まれ,シッカリとひとつのチャプターが用意される。その先に,さらなるキャリア・アップの機会があったり,その経験を浦和にフィード・バックしてくれれば。そう思ったりもするのです。