プロフェッショナルと「統一場理論」。

ちょっと耳が痛いところも感じつつ,でも全体として面白く読める。


 「エル・ゴラッソ」紙(2007年2月2・3日付号)に掲載された,「大丈夫か!!スポーツメディア。」というインタビュー記事であります。平野史さんによる,サッカーマガジン編集長を務められた伊東武彦さんへのインタビューなのですが,コレがなかなか興味深いのであります。


 イロイロと取り上げていきたい部分があったりするのですが,今回はあえてインタビューを分解して,ひとつの部分に絞って取り上げてみようと思います。


 さて,この記事で目を引いたのが,「サポーターズ・ライター」というフレーズです。


 J's GOALさんで各クラブを追い掛けているフリーランスのライターさんだったり,フットボール・ジャーナリストさんの手になるマッチ・プレビューだったり,マッチ・レポートが掲載されるようになってから,確かに「特定方向からの目線」を押し出した文章を見かけることがあるようにも感じます。
 ですが,すべてのライターさんが伊東さんが言う,「ブログを書くような」スタンスで文章を書いているとは思わないし,また,特定のクラブを追い掛けているサポータだったり,フットボール・フリークでありながら俯瞰的な視点を意識した書き方をしているブロガーさんだって,結構いらっしゃるわけです。


 一般論として,かつ「顧客」でもあるアウトサイダーが感じることを書けば。


 思うに,ひとりひとりの書き手にとって,恐らく「メートル原器」のような基準があるはずです。
 どういうスタイルのフットボールを理想として意識しているのか,ということです。その理想からは,誰も自由にはなれないはずです。
 ですが,「境界条件」というものを考えれば,完全に自分が持っている理想が実現できるものでもない,ということも言えるはずです。たとえば,取材対象としているクラブであり,サポータ,フットボール・フリークとして追い掛け,気にしているクラブの戦力はそれぞれに異なり,戦力的な個性はそれぞれに異なっている。その個性をチームとしてのストロング・ポイントへと束ね上げていくには,「冷静な観察」が欠かせないし,その観察から導き出されたものは,時に持っている理想像とは距離を持ったものになる。リバース・エンジニアリングのように,コーチング・スタッフがひとつのチームを構築してきた過程を逆算し,クラブ(チーム)が持っている戦力的なストロング・ポイントはどこにあるのか,そのストロング・ポイントを本当に実際の戦術的なフレームが生かし切れているのか。
 そんな視点があれば,間違いなく建設的な議論が成立するはずなのです。また,突き放したような物言いにはならないはずだから,クラブを追いかけているひとたちにとっても,決して受け入れられないような文章にはならないとも思うのです。


 プロフェッショナルになれば,当然のようにこのような視点や,アプローチが必要になるはずなのだけれど,クラブを長く追い掛けているサポータの方がこのストロング・ポイントに関して敏感に反応している感じがある一方で,ライターさんだったりジャーナリストさんはトレーニング・グラウンドであったり,スタジアムのピッチに表現された部分だけを取り出して評価しているかのように見える,時がある。
 また,彼らは専門家による査読のある「論文」を仕立てているのではなく,その先に「顧客」のいる「商品」をつくってもいる。プロフェッショナルであればこそ,顧客のことを意識するあまりに伊東さんが指摘するような記事が増えていく。恐らく,そんな印象が複雑に積み重なって,「サポーターズ・ライター」という言葉へと行き着くのではないでしょうか。


 「特定の取材対象」があっても,それはおかしくなんかないと思う。全国紙などではなく,地方紙は地域に根ざすクラブを常に追い掛け,時に厳しく,時に優しい視線を送る。そういう関係を否定する理由など,どこにもないからです。


 でも,「時に厳しく,時に優しい」視点の前提には,鋭い「観察」や「分析」があってしかるべきでしょう。そして,トレーニング・グラウンドやピッチに表現される部分だけを観察,分析していては,このような視点はなかなか獲得できないのではないでしょうか。
 伊東さんが例に出した昨季最終戦ですが,G大阪を中心とする視点を意識すれば,まずコーチング・スタッフが持っていただろう戦術的な意図,彼らが預かっている戦力のバランス,そして,現実のゲームの流れがどうだったのか,など,意識するべきポイントはかなり多い。当然,同じことを浦和に対してもしていく必要がある。野球だって同じこと。全体から見れば,些細な一球であったりワン・プレーだったりする部分が,実際にはゲーム全体の流れを決定付けるきっかけになっていたりする。
 ディテールを掘り下げていくことができなければ,実際には全体をつかむこともできなくなる。“プロフェッショナル“に求められているのは,マクロ的な視点とミクロ的な視点を巧みに組み合わせながら,実像を文章などによって描き出すこと,だと思うのです。


 伊東さんが言うように,他者による視点があまり感じられない文章も多いのでしょうし,いわゆる「システム」に問題の原因を求めるという考え方もあるかと思います。長くエディターとして活躍されてきた方の言葉ですから,相当な重みを持っていると思いますし,尊重しなければならないとも感じます。
 ですが,個人的にはひとりひとりの書き手が持っている,「視点」,その前提となる要素も大きいのではないか。そんな感じがするのです。