「ワールドカップ仕様」と言うならば。

レフェリングを“ワールドカップ”仕様にしていただきたい,と思うひとは多いでありましょう。


 JリーグレフェリーウエアもW杯仕様に(nikkansports.com)という記事であります。


 JFAとアディダス・ジャパンとの関係は非常に密接でありますから,JリーグとJFAが直接の関係がないとは言え,アディダス・ジャパンとのオフィシャル・レフェリー・エキップメント・パートナーシップ契約を締結することになった,というのはそれほどの不自然な感じはしません。


 ・・・とは言え,個人的にはほかのサプライヤーのレフェリー・エキップメントも見てみたいものだな,と思ったりします。「持ち回り」なんてのも良いかな,と。


 エキップメントのクオリティが上がる。いいことであります。ありますが,やはり「レフェリングそのもの」の水準を引き上げてほしい,と感じるのは確かです。


 プロフェッショナルか,それともアマチュアか,という単純な二分法ではなく,ゲームに対する意識をシッカリと持ってほしいと思うのです。先頃レフェリーから退かれた上川徹さんは,「自分で試合をしっかりコントロールする」という,プロフェッショナルとしての強い意志を持つことを後進に対して伝えるつもりだ,ということが,23日付の読売新聞朝刊(23面・サッカー面)に掲載された軍地さんの記事の中に書かれておりました。


 確かに,「コントロール」することは重要だと感じます。


 いつもここでは書いていることですが,リーグ戦はすべてのゲームが同じ重みを持っています。ですが,ポイント・スタンディングなどの多様な要素が複雑に絡み合うことで,本来奪取できる「勝ち点3」以上の意味を持ったゲームが(ケースによっては複数)存在します。そのときに,ひとりひとりのフットボーラーが持っているモチベーションは高いでしょうし,そのモチベーションが厳しいファウルへと結び付いていくことだってあり得る話です。そのときには,ゲームの早い段階から基準を明確に提示することで,シッカリとゲームをコントロールしていく必要があるでしょう。


 ただ,同時に不要なファウルの連鎖を招かないための「コントロール」も重要であるはずです。それは,“セルフ・コントロール”に結び付くこともあるでしょうし,ケースによってはゲーム・キャプテンを通じてのコントロール,という部分も重要になってくるはずです。レフェリーによっては,ゲームが過熱するのを抑えるどころか,不用意にヒートアップさせる方向にレフェリングが作用しているのではないか,と感じられるようなケースもあるように見ています。ゲームをコントロールしているとは到底言えない。まして,ゲームをプレイヤーとともに作り上げるというでもなく,結果として壊しているかのような印象を受けることもあるわけです。そんな事態に立ち至る前に,もっとコミュニケーションを取るべきではないか,と感じる部分があるのです。


 悪質なファウルに対する毅然とした態度は,レフェリーにとって必要不可欠な要素ですし,この点においてプレイヤーからの異議を受け付ける必要性はない,と思っています。そんな事態に立ち至る前に,コミュニケーションを取ってほしい,と思うのです。


 本来,他競技ですから一概には言えませんが,ラグビーフットボールにおけるレフェリーの位置付けは,ある種の参考になるはずです。


 毅然としてコントロール(ジャッジング)すべき部分と,同じピッチに立つ人間として,ゲームを作り上げる立場を巧く使い分けること。言葉にしてしまうとホントにカンタンですが,難しいことだとも感じます。しかし,ワールドカップ・クラスのレフェリングと言うのならば,高い理想を掲げ,そこに近付く努力を続けるべきではないか,とも感じます。