完成度よりも可能性。

「本命不在」という言葉が当てはまってしまいそうな高校サッカーでありますが。


 そんなネガティブな言葉よりも,「可能性」という言葉を使って読み解いた方が建設的なのではないか,と思ったりします。


 いままでの高校サッカーを見ていると,ひとつのフットボール・スタイルを徹底的に熟成させる,言ってみれば,最初から相当完成度の高いフットボールをぶつけ合っているような感じがあります。そして,短期間に集中してゲームをこなす“トーナメント”というスタイルも相まって,それぞれのチームが描く設計図はほぼ相似形を描いていた。
 つまり,ひとりひとりのプレイヤーが持っているパフォーマンスやポテンシャルを“テクニカル・スキル“という側面から捉えるのではなく,“フィジカル・ストレングス”という側面から捉え,チーム戦術としてはフルコートにせよ,ハーフコートにせよ“カウンター・アタック”を主戦兵器としている。そんなチームが多かったのは確かなことです。


 前回大会覇者である野洲は,そんな「スタンダード」とは違うアプローチを採用し,結果を出した。では,彼らのアプローチが,いままでの高校サッカーへのアプローチを全否定するものか,と言えば,そういうものでもないような感じがします。


 野洲フットボールを形容する言葉として,渡邊浩司さんはスポナビに寄稿しているコラムで“クリエイティビティ”という言葉を持ち出しています。


 重要な要素でしょう。


 ラグビーフットボールにせよアソシエーション・フットボールにせよ,攻撃を仕掛けているときにパスか,それともラン(ドリブル)を仕掛けるか,というのは瞬時の判断ですし,パス・レシーバが数的優位の状況を読んでいれば,パスを引き出す動きを瞬時に選択していくはず。その組み合わせは,組織的な約束事も重要だけれど,ひとりひとりのイマジネーションに負うところも大きいと思うからです。
 ですが,90分(ラグビーにあっては80分)プラス,攻撃だけを仕掛けていられるわけではありません。また,フットボールはスコアの多寡を問題にする競技であり,チャンス・メイク数を問題にしているわけではない。ましてや,“アーティスティック・インプレッション”なんて要素はあり得ない。ならば,「得点を奪うためのアプローチ」が重要であるとして,「得点を奪われないためのアプローチ」も同じだけ重要なものとなるはず。つまり,守備的な側面で破綻を生じないことも同時に大きな要素になる。


 そのときに重要なファクタになるのは,中田徹さんが同じくスポナビに寄稿されたコラムで,星稜を紹介する部分で使った形容語句でもある,“リアリスティック”な姿勢であり,組織立った守備であるはずです。


 つまり,クリエイティブな側面とリアリスティックな側面とは完全なる二律背反の関係にあるのではなく,主要な要素をどちらに置くのか,という程度の問題ではないか,と思うのです。間違いなく,2つの要素は必要となる。そして,この2つの要素をどうバランスさせるのか,という部分こそが,最も重要ではないか,と。


 もちろん,共同さん配信の記事(スポーツナビ)にあるように,外的な要因が本命不在という状況に影響を及ぼしている部分も否定できないでしょう。また,タレントの分散傾向がリアリスティックな姿勢への傾斜を強め,その結果としてスコアレスのままPK戦へと突入してしまう,という見方も成立するかも知れない。
 ですが,単純にリアリスティックなだけでトーナメントを戦おうとはしていないチームの方が多いはずです。結果的にリアリスティックな部分が強く見えるにしても。


 むしろ,トーナメントを戦っていく中で「足らざるもの」を強く意識し,チームとしてのスタイルをさらに進化させる可能性を見つけ出し,最適化していこうという姿勢が見えてきていることこそ,実は喜ぶべきことかな,と個人的には思うのです。