対川崎戦(06−28)。

フットボール・フリーク(アウトサイダー)としての目線で言えば。


 カップ戦が持つ緊張感と,リーグ戦が持っている魅力を兼ね備えたゲームだったのではないか。


 キックオフ直後の時間帯から,静かに,しかし熾烈な主導権争いが展開され,コンパクトネスが決して失われない,緊張した立ち上がりだったように思う。
 ただ,相手は中盤の構成力を最大限に引き出す,というよりも,ミドルレンジ〜ロングレンジ・パスとアウトサイドの機動力を組み合わせながら,一方でアウトサイドを攻撃の起点とさせないように意図し,もう一方で守備ブロックの前方に位置するディフェンシブ・ハーフをアウトサイドへと引き出し,センターの分厚さを削り取ろうというゲーム・プランを組み立てていたように感じられた。


 このゲーム・プランに対して,「カップ戦」を戦うかのような立ち上がりを見せた。


 ボール・ポゼッションを背景に積極的に仕掛けていく,という今季のスタイルよりも,プライマリー・バランスを大きく崩さないように比較的強く意識し,“カウンター”に近いイメージでゲームに入っていったように感じる。
 ただ,今節に関して言えば,攻撃面での連動性,特に縦方向における連動性がスムーズさを若干欠いたこと,相手右アウトサイドとディフェンシブ・ハーフの積極的な仕掛けに対応するために,もうひとりのキー・パーソンに対するチェックが相対的に緩くなってしまったことが気になった。2点目の失点は,川崎が意図していただろうゲーム・プランを表現されてしまったことが最も大きな要因になっているように感じる。


 とは言え,相手も「浦和のキー・パーソン」に対する意識はそれほど強いものではなかったのではないか,と同時に感じる。ファースト・ディフェンスではボール奪取までを強く意識したプレッシャーと言うよりも,巧みにパスを繰り出すタイミングをディレイさせたり,パス・コースを絞り込むような形でプレッシャーを掛けていく。あるいは,微妙に崩れたバランスを,巧みなポジショニングによって絶えず微調整していく。今節においても,攻撃の起点としてしっかりと機能していたように思う。


 また,戦術交代がピッチ上の選手たちに対して明確なメッセージを持っていたことは大きな意味を持っていると思う。
 相手がアウトサイドを強く意識していることに対応し,その主導権を取り戻すために積極的に仕掛けていく,という姿勢を押し出す。攻撃リズムが単調になりかけ,中盤での相手に対するプレッシャーが緩くなっている状況を見越し,積極的に中盤でのプレッシャーを掛ける一方でリズムを切り替えられるプレイヤーを投入する。加えて,アウトサイド,というよりもサイドハーフ(ウィンガー)のように高い位置をキープしながらセンターとの連携から相手守備ブロックにクラックを生み出そうと意図する。「攻め抜く」という姿勢が明確に見られたことは,実際に獲得することのできた「勝ち点1」という結果以上に,大きな意味を持ってくるのではないか,と考えている。


 ・・・もちろん,「勝ち点1」ではなく「勝ち点3」を奪取できれば良かったことなど言うまでもないし,その可能性を感じたゲームでもありました。


 ただ,それ以上に収穫だと思うのは,一時的にせよリズムを崩しながら,そのリズムをしっかりと取り戻したこと,であります。
 「高み」が現実的な視界に収まっている状況にあればこそ,相手にリズムを掌握される時間帯があろうとも,完全にリズムを相手に譲り渡すのではなく,引き寄せたチャンスをしっかりとモノにすることで,リズムを再び引き寄せていく。クラブが持っている戦力から考えれば,“スペクタクル”性に欠けるという見方も成立するでしょうが,いまはスペクタクル性よりも「1」であれ,「3」であれ勝ち点を積み上げ続け,2位,3位につけているクラブに対して有形,無形のプレッシャーを掛け与え続ける,という“リアリスティック”な視点が大事だろうと思っています。


 今節の解答は,決して「満額回答」と呼べるモノではなかったかも知れません。それでも,止まったわけでもなければ,相手にアドバンテージを与えたわけでもない。むしろ,「勝ち点3」を奪い取るという姿勢を見せ続けたことを評価したいし,相手に「リズムを再び奪われた」という事実をシッカリと突き付けたことを,収穫としたいように思います。


 ひとつのゲームで奪取できる勝ち点は,3ないしは1。


 しかし,この数字が持つ意味は1以上のときも確実に存在する,と思っています。そして,今節で奪取した1は,あとに大きな意味を持ってくれるものと確信しています。とは言え,書かずにおけないこともあるにはありまして。


 さすがに,ゲーム当日は“フォー・レターズ”以外の言葉を思いつかなかったのですが,冷静になって「再び」レフェリングのことを書いておこうと思います。


 機会あるごとに書いていることですが,レフェリーがゲームの帰趨を左右してはならない,と思います。


 “ホーム・アドバンテージ”であるとか,“ホームタウン・ディシジョン”などということがあるなどとは思っていないし,そもそも要求すべきことでもない。
 そんなことよりも,「ブレ」のない基準を90分間プラス維持してほしいし,スタジアムに足を運んでいるフットボール・フリークやサポータに見えてみるものくらいは,レフェリー,アシスタント・レフェリーには見ていてほしい。
 確かに,ポジショニングによって「見える」ものと「見えない」ものがあるし,死角が発生することもあるとは思う。ならば,しっかりとしたポジショニングをとり続ける努力をしてほしいな,と思うし,ケースによっては動きすぎることなく広い視野を確保する必要もあるかも知れない。


 ごく当然のことを,ごく当然のこととして90分間プラス続けてくれること。


 プレイヤーが必要以上に熱くならないようにコントロールしながら,同時にコーションに相当するプレーの基準を提供する。境界線上のプレーがあったならば,必ずコミュニケーションをはかりながら,コーションに相当するプレーが必要以上に発生しないように予防的なジャッジをしていく。レフェリーやアシスタント・レフェリー,フォース・オフィシャルで構成されるチームが,ゲームを支配してはならない。彼らは,ゲームをともに作り上げていく,「仲間」であるべきだろう。


 そんなことを意識してもらうだけで,フットボール・フリークやサポータの視線は違ったものになるはずだと,個人的には感じるのです。