ユーティリティとスペシャリティ。

おひさしぶり,のこのカテゴリであります。


 イングランド代表のことなど,ちょっと書いてみようかな,と。


 ザグレブで行われた,アウェイ・マッチでの負けっぷりはマズいですよね。


 ESPNサッカーネットさんをチェックしてみると,強烈な見出しがお出迎えでありました。“Comedy in Croatia”。結果だけを取り出せば,反論できないヘッドラインではあります。セイフティなはずのバック・パス。確かに,あまりにイレギュラーなバウンドがあったのは違いないけれど,最もやってはならない形での失点ですから。このゲームにおけるリズムの悪さを象徴してしまったような感じがします。


 で,早急な立て直しを迫られているのが,スヴェン・ゴラン・エリクソンさんの後任として代表チームを指揮しているスティーブ・マクラーレンさんであります。


 私はこのひと,確かに戦術家的な部分は強く感じるのですが,強くひとを惹き付けるようなところがちょっと薄いかな?と思ってもいます。そう思ってしまうのは,かつてサー・アレックス・ファーガソンさんの片腕として活躍していたときのイメージで固定されてしまっているからかも知れません。でも,ディビッド・ベッカム選手を世代交代を進めたい,という理由のもとに招集しないという決定をした過程などを見ていると,「もうちょっと上手にやれるはずなんだけど・・・」と思わざるを得ないんですよね。


 確かに,ベッカム選手は“superb”なパフォーマンスを見せてくれるけれど,プレー・スタイルがそれほど広くはないんですよね。敢えて極端な言い方をしてしまえば,「精度の高いクロスとFK」で勝負している側面がある。いわゆる,ユーティリティを持った選手じゃあない。レアル・マドリーではボランチにコンバートされた途端に,彼が持っている魅力が大きく削がれてしまいましたしね。恐らく,代表から外されたのは「世代交代」という要素もあるだろうけど,“ユーティリティ”があまりないというファクタもあったかな,と感じるわけです。


 では,ユーティリティを持った選手が10人そろっていれば,安定したパフォーマンスをチームとして発揮してくれるのか?と言えば,そうじゃあないとも思います。ユーティリティを持った選手が重要なのと同じだけ,スペシャリティを持った選手も重要なのだろうと思うのです。ユーティリティとスペシャリティ,このバランスをどの位置に見出すのか,がチームの個性になっていくのだろうし,その個性の見出し方に監督それぞれの個性が見えてくる,ように思うのです。


 ベッカムはジェラードでもなければ,ランパードでもない。ましてや,スコールズでもない。ただ,彼らが持っていない強烈な武器を持っている。必要ならば,活かせばいい。・・・2004年の頃,こんなことを痛感させられた記憶があるような。


 それはともかく。


 チームをひとつの方向性へと持っていくときに,似たようなパーソナリティを持った選手を集めればそれはカンタンにひとつの方向性へとまとめ上げられるでしょう。しかし,そのチームは「強さ」を持っているでしょうか。あらゆる個性がぶつかりながら,「結果として」ひとつの方向性へとチームが向かっていくことこそが,重要なことではないか。スペシャリティを持ったプレイヤーも,間違いなく重要なピースであり,若手でそういうスペシャリティを持った選手が発掘できないのならば,ベッカム選手を呼び戻すのは「当然」だと思う。


 サー・アレックスの近くにいたのだから,彼の人心掌握術はある程度知っているはずです。「理論武装」するだけでなく,もっとプレイヤー心理を上手につかむことができれば(ケースによっては,「反面教師」にもなるでしょ?),選手たちが持っているパフォーマンスを引き出しやすくなるんじゃあないか。


 ちょっと前にも書いたけれど,彼のサポートにはかつてスター選手として活躍していたひとが付くべきかな?と思わずにはいられませんね。