去りし敵将に思うこと。

この指揮官が持っている資質を,端的に表現するならば。


 いささか古風に過ぎるかも知れないが「軍師」という言葉を使いたい。


 岡田武史。この指揮官と浦和は,浅からぬ因縁を持っているように思う。


 ディビジョン2で対峙した2000年シーズンには,リアリスティックな勝負師の顔を明確に印象付けられたように感じている。ゲームを支配する,というアイディアにはとらわれていない。ゲームを支配するという意識だけにとらわれることなく,90分プラスという時間枠の中で,相手の力を巧みに利用しながらゲームを“コントロール”することで勝負に勝っていく,というアプローチを貫く。「相手を圧倒して勝利する」というアイディアにどこかで固執し,どうシーズンを戦っていくのかという俯瞰的な視点を失っていたチームにとっては,この指揮官が構築した壁は高く,そして頑強であったような印象が残っている。
 そのイメージをスケールアップさせながらリプレイされたのが,2004シーズンのチャンピオンシップではなかったか。浦和というチームが持っているストロング・ポイントを徹底的に封じ,同時にどこにウィーク・ポイントがあるかを的確にスカウティングする。スカウティングの結果をシンプルな約束事へと落とし込み,ゲーム・プランとして徹底させる。確かにクリエイティブかと問われれば返答に窮するフットボールかも知れないが,同時にリアリズムに貫かれた機能主義的なフットボールだと感じた。そして,この指揮官は機能主義的なフットボールを展開させることに非常に長けた人物であるという認識を,猛烈に苦い思い,どこか2000年シーズンのリプレイを見てしまったかのような思いとともに噛み締めたことを思い出す。


 当時,この指揮官は「アイディアを絞り出した」というニュアンスのコメントを残していたと記憶する。ならば,再びこの指揮官が持っているアイディアを絞り出してやりたい。そんな思いをどこかに持ち続けていた。カップ戦の準決勝,あるいは決勝などという舞台ならば,間違いなく彼が持っているリアリスティックな知略を存分に見ることができるのではないか。そんな期待をどこかでしていたように思う。当然ながら,彼の知略を真正面から叩き潰すことを期待しながら。


 だが,そのタイミングは訪れなかった。


 リアリスティックであり続けることで正回転をしていたギアが,進化を意識し,理想を追い求めようとしたことから微妙な狂いを生じたのだろうか。「慣れ」を避けるために新たなアプローチを導入することで,迷いを生じたのだろうか。
 いずれにせよ,敵将でありながら,どこかで意識に引っかかる軍師がピッチを去る。


 どれほどの期間をアイディアの再蓄積に充てるかは未知数だが,いつかまた「勝負」に徹底的にこだわったゲーム・プランを押し出す指揮官の姿を見てみたい。