対イエメン戦(アジアカップ予選)。

「勝ち点3」を奪取できるかどうか,という現実的な視点と,イビツァさんが狙うチームの姿,その姿へと近付くためのセカンド・ステップという視点がこのゲームには重なってしまうような気がします。


 そこで,視点を分けてみることにします。


 まず,予選通過のためには「勝ち点3」を奪取する必要があるという,すこぶる現実主義的な視点からゲームを眺めてみますと。


 リズムが悪いなりに先制点を奪取し,アディショナル・タイムには追加点を挙げることに成功しています。実質的に「基礎構造」構築の初期段階にあるチーム,しかも指揮官が意図的に戦術的なバインドをかけず,ピッチ上の選手たちに局面打開策を描かせるというスタイルをとった以上,現状における適応力が示された,と見て良いように感じます。
 加えて言えば,指揮官はクリエイティブなフットボールを指向しながら,同時にアジアカップ予選という公式戦においては守備面での計算を優先させたような部分をも感じさせます。天候その他のコンディションがチームからダイナミズムを奪っていった側面は否定できないでしょうが,それ以上に「結果」を冷徹に計算していた部分もあるように思えるのです。表面的に見れば,2バックへのシフトをも視野に入れたシステムを採用していたように思いますが,実質的にはフォア・リベロを配したかなり堅い3バック・システムであるようにも感じられます。相当,リスク・マネージメントに神経を使いながらゲームに臨んできた。そんな感じがします。


 そういう部分を考えれば,“2−0”というファイナル・スコアについて相応の評価をすべきゲームではないでしょうか。


 しかし,相手が完全に引いてくることは想定範囲内だったはずですし,それならば指揮官が明確に指摘するようにセットプレーの精度を引き上げていかなければならない。また,クロス・ボールのクオリティにしても課題を残す部分が多いような気がします。


 次に,チーム構築のセカンド・ステップとしてこのゲームを考えてみますと。


 前のエントリで70%以上書いてしまいましたが,「どのように相手を釣り出すか」という要素が,ムービング・フットボールをピッチで表現するに当たって大きな要素であるということを示したゲームではなかったか,と思います。


 基本的に,イビツァさんのアイディアと親和性が高いのは,ディフェンス・ラインを比較的高い位置に設定して全体をコンパクトに維持する。その中で相手ボール・ホルダーに対する組織的なプレッシングを仕掛けながら速い攻撃を指向する,というイメージではないか,と思います。
 ですが,これは「ひとつの最適解」に過ぎないのではないか,と思うのです。今回,指揮官はディフェンスでのボール回しが遅い,というポイントを具体的に示すことで苦戦を強いられた理由を説明していますが,それと同時に,ディフェンスを仕掛けるポイントが柔軟性を持っていなかった,という部分も指摘して良いような感じがします。
 引いてくる相手に対して,スペースをこじ開けるためにはパス・スピードを引き上げるというのもひとつのアプローチだと思います。思いますが,もうひとつのアプローチとして,ディフェンス・ラインを低めの位置に抑えながらも全体をコンパクトに,というスタイルも考えられる。パス・ワークで局面を打開できないのであれば,(全体の距離感に変化を与えることなく)ポジショニングを自律的に修正していくことで,ひとりひとりのプレー・スペースを広げにかかる。そして最終的な目標は,ペナルティ・エリアへ物理的な数的優位を構築しながら侵入し,フィニッシュへの精度を可能な限り高めていくことに変わりない。そういう「もうひとつの最適解」へのシフトを指揮官は期待していたのではないか,とどこかで思ったりもします。


 ですが,実質的にチームが本格始動してから1週間ほどであります。


 高い適応性を期待しているのは理解できるものの,その達成度について過度な期待を持つのは危険以外の何物でもない,と思います。指揮官自身も一定のリスク・マネージメントを基盤としながら実験を繰り返している段階でしょうから,「想定外」の部分も間違いなく出てくるはずです。であるならば,指揮官のコメントもただ表面的な解釈をするだけでなく,意図を読み取る努力を繰り返していかないと,目指す方向性を見失うことにもなりかねない。そんな感じもします。


 一方で「勝ち点3」奪取という現実的な目標をにらみながら,もう一方では進化の方向性を見定めていく。指揮官はハッキリとは言わないものの,2つのイメージを同時並行的に見つめているのではないか,と感じます。
 ならば見ている側も,長期的な視点と短期的な視点を(評価軸として)上手く使い分けながらゲームを見ていく必要があるような感じがするのです。