あったはずの進化と。

キックオフを告げるホイッスルを聞いたあと,何となく“パラレル・ワールド”を意識してしまいました。


 実際には実現しなかった,しかし当時,浦和というクラブを追いかけているひとならば恐らく実現を心から望んでいただろう「正常進化形」がユニフォームの色こそ違え,国立霞ヶ丘のピッチに表現されていたような感じがしたからです。


 もちろん,ゴーリーが都築選手(山岸選手)ではないとか,イニシャルのシステムが3−5−2ではないとか,細かい部分での相違は当然あります。ですが,2005シーズンで見ることができたかも知れないチームの進化,その可能性を感じられたような気がするのです。


 また,センターラインを意識すれば,23人という選手登録枠に残ることができなかった,しかし五輪予選において中心選手として位置付けられていた啓太選手と山瀬選手を加えて,ひょっとすれば2004年,ギリシアで見ることができたかも知れないパッケージを2年後の今になって見ることができているようにも感じます。
 “ユーティリティ”という言葉によって選手登録枠を外れた“スペシャリスト”が,その持っているパフォーマンスを,フル代表のゲームという舞台で表現してくれた。何とも言えない感慨があるわけです。


 加えて言うならば,すでに袂を分かったつもりでいた山瀬選手,彼のプレー・スタイルに変わらず魅了されている自分を再確認してしまった部分があります。


 もちろん,浦和というクラブを追いかけている立場で考えれば,かつて磐田で10番を背負っていた選手同様,いまや単純に「叩き潰すべきキー・パーソン」でしかない。ですが,フットボール・フリークとしての視点で見れば魅力的なフットボーラーであり続けている。アテネ世代で構成されたと言っても良いセンターライン,そのスムーズなコンビネーションを見ていて,最終予選や浦和で培われたイメージというのはいまだに生き続けているのかも知れない,と感じます。


 ある意味では,時計の針をちょっとだけ巻き戻したような。


 それでいて,間違いなくピッチで表現されたものは将来を指向したものでもある。


 アテネ五輪代表の指揮官は,“アテネ経由ドイツ行き”というキャッチフレーズを多用していました。残念ながら,そのチケットはトランジットがうまく行かなかったチケットでした。ドイツ行きのためのコードシェアをしているはずだったのに,いつの間にか提携を解消されてしまったような感じでしょうか。
 ですが,2003年に発券されたチケットは,どうやら行先変更が可能だったようです。最終目的地は,アフリカ大陸の最南端。
 とは言え,当然ながら座席指定はありません。加えて言えば,座席数は最終的には23と限定されている。そして,搭乗希望者を選ぶひとの目線は限りなくフラットであり,(課された条件はヒジョーに高いけれど)乗ってもらうに足りると判断すればしっかりと呼んでくれる。裏返せば,条件をクリアできないようだと途中降機を余儀なくされる,なかなかシビアな条件付きのチケットだと思います。


 それでも,であります。


 この初戦でのパッケージがさらなる進化を遂げ,そしてこれから当然のようにはじまるだろう激しい代表枠争いを勝ち抜いてほしい。「あったはずの進化」をできるだけ長く見ていたい。浦和というクラブをどうしても意識せずにはいられない,それでいてフットボール・フリークとしての視線も持っていたいワタシが代表を見つめる限りにおいて,そう思わずにはいられないのです。