フィナーレの見え方は。

何と言うか,「過剰演出」のないひとですよね。


 TVというのはラジオと違って,“映像”が誰よりも雄弁に何かを語ってしまうメディアだと思っています。それだけに,無理に絶叫されるのも困りものだし,だからと言ってあまりに冷静なのも困ってしまう。


 失礼な表現かも知れないけれど,フットボール・フリークとしての大先輩がたまたまパブで隣り合ったような感じでTVを見ることができたら,ひょっとするとそれが理想的な実況中継なのかな,と思ったりもします。実際に隣り合ってしまおうものなら,完全に舞い上がってしまうでしょうけど。聞きたいことはあるのだけれど,何も聞けない,なんて。


 ということで,今回は71歳金子アナW杯決勝20年ぶり実況へ出発(nikkansports.com)という記事をもとに,ちょっとだけ。


 いつの頃からか,実際にスタジアムでのコメンタリーを担当するチームと,同じスタジアムのコンパートメント(恐らく,メディア用のスイートか,今回のように大規模な国際大会だと,クラブ・スポンサーのためのコンパートメントを転用するのでしょうけど)でコメンタリーを担当する,というように役割分担をするケースが増えてきたように思います。
 概して,ゲームを俯瞰するような形で話を進める,コンパートメントでのコメントを仕切るひとは,経験豊かな方が多い。今大会で言えば,NHKの山本解説委員だったりするわけですが。


 で,金子さんの役割をフツーにイメージすると,山本さんのような役割かな,と感じるのですが,今回は実際にスタジアムのコメンタリー・ブースに陣取るのだとか。逆に面白いな,と感じます。


 正直なことを言ってしまえば,この記事で「定着した」という


 “Gooooaal!!”


という表現など,どうでもいいわけですよ。最も問題だな,と思うのは,特に日本代表が関わるゲームで顕著なんですが,ピンチとなるとちょっとヒステリックなトーンが目立つ最近の実況担当さんが増えてきてしまっていることなんですよ。
 「浮足立つんじゃあねェ!」って近くに座っているなら文句の言いようもあるけれど,コメンタリー・ブースにいては文句も言えない。恐らく,ひとそれぞれにイメージされるひとがいることでしょう。しかも複数名。彼らよりも,山本さんや金子さんのような実況の方がゲームに入り込めるような気もするわけでして。「一緒に戦ってくれているな」という感じがするんですよね。そんな感じのするひとも今大会,民放,NHKを問わず出てきてくれましたけど。


 いまほどワールドカップというものが注目を浴びていなかった時期から,フットボールを見つめ続けてきた金子さんが見る,今大会のフィナーレはどういう感じなのか。オリンピアシュタディオンを最後の舞台とすることのできたジネディーヌ・ジダンをどう表現し,フランス代表をどう表現するのか。そして,決勝戦に勝ち上がってきたもうひとつのチーム,アズーリをどのような形で表現してくれるのか。


 もちろん,ゲーム自体がどう動くかによって大きく異なっていくのでしょうけれど,金子さんがどうモダン・フットボールを表現してくれるのか。そういう部分でも,興味ありますね。