ちょっと早めの一般教書。

恐らく,苦渋の決断だったに違いありません。


 プロフェッショナル・コーチとして,千葉での生活は何物にも代えがたい幸せな環境だったかも知れないと思うだけに,今回のような「横紙破り」でのオファーは本来ならば受けたくなかっただろうと感じます。
 ただ一方で,日本のフットボールを気にしてくれているのだ,ということもこれまでの経緯でハッキリしたように思います。


 手順を踏んでいるとは思えないJFAのオファーを蹴ることだってできたはずなのに,また,日本の地を再び踏まずにグラーツにとどまるということだってできたはずなのに,そうしなかったのですから。JFAからのオファーをそれでも真剣に考えてくれた,ということは,2002年からの4年間が停滞していた,よりハッキリ言えばある部分において退化してしまったことへの歯痒さ,を示すものかも知れません。


 ということで,今回はこちらの記事(スポーツニッポン)をもとに書いていこうかな,と思います。


 今回参考にしたスポニチだけでなく,多くのスポーツ・メディアが同様の記事をアップしていますが,表面的にイビツァさんの言葉を捉えればかなり辛辣,かつ冷静にして正確な現状分析という評価になろうか,と思います。
 ですが,個人的には今回のオシムさんのコメントは,ちょっと時期的には早いのかも知れないけれど,代表監督としての基本方針を示したもの,所信表明や一般教書とでも表現すべきものではないか,と感じます。


 プロフェッショナル・コーチというひとたちは,「理想主義的なリアリスト」である,と個人的に感じるところがあります。


 前任指揮官が掲げた理想は非常に高いものがあった。いつかは実現していかなければならないものでもある,と思ってもいます。
 しかし,「現実との距離感」を常に意識していなければならないとも,同時に感じます。また,攻撃を仕掛けるためには大前提として,ボールを支配していること,そして支配できていないのであればボール奪取を仕掛けなければならないことになります。そのときに,必要不可欠な要素となるのが,「どのようにしてボールを奪うのか」という明確なイメージでしょう。そのイメージを作り上げるというプロセスを踏んでいるようには見えなかった。高い理想はあったものの,その理想に近付くための方法論が提示されなかったという見方でもいいかも知れません。


 ですが,コーチング・スタッフとして長く経験を積んできたひとたちのアプローチは実践的であり,はるかに論理的だと感じます。
 恐らく,理想としてイメージしているフットボール・スタイルは指導者ひとりひとりの頭の中にあるに違いありません。ですが,その理想が実際に実現可能なものなのか,は与えられた初期条件によって大きく異なることも確かなことでしょう。イビツァさんに限らず,クラブ・チームにおける指導者の基本スタンスは,まさしくステップ・バイ・ステップでイメージする理想のフットボール・スタイルへと近付いていこうとするものであるように感じます。
 その過程において,柔軟に戦術を変更してきたというのは,イビツァさんの戦術に対する考え方に直結するものではないでしょうか。つまり,戦術(システム)とは選手ひとりひとりのパフォーマンス(ポテンシャル)を最大限に引き出すための触媒に過ぎないということなのだろうとも感じます。
 逆に見れば,戦術という触媒が有効に機能しなければ,ひとりひとりのパフォーマンスを100%引き出すことはできない,ということも同時に意味するでしょう。戦術(システム)というと,半ば自動的に4バック・システムや3バック・システムを想定しますが,単純な2分法で選手のパフォーマンスを引き出せるとは限らない。“2バック・システム”を積極的にテストしていたのは,戦術(システム)というものは保有戦力の適性を見極めながら「ワンオフ」で作り上げていくものである,ということを示す典型ではないか,と考えています。そういう文脈から,

 「日本人特有のいいものがあり、日本の道を見つけることが大切だ。日本人の特徴を生かせるメンバーを集めてやるべき」


というコメントは読み解くべきではないか,と考えています。


 2006年本大会でも見えてきていることですが,高い個人能力に支えられた美しさよりも,「組織」が作り出す機能美を持ち合わせたチームがセカンド・ラウンドで躍進を続けているように思います。
 オシムさんが考えているのは,日本独自の「機能美」を感じさせるチームなのではないでしょうか。こう見てくると,オシムさんがメディアに対して発したコメントは自分自身のチャレンジに対する所信表明であると同時に,JFAに対して覚悟のほどを問うものでもあるように感じます。JFAは,この経験豊かな指揮官のチャレンジを一過性のものとして終わらせるのではなく,大きく発展させていくべき大きな責任をすでに負っている,ということを強く意識すべきだと思います。