オレたちこそがガウディ。

サグラダ・ファミリア(聖家族教会)の設計を担当したカタルーニャ出身の設計家。


 アントニオ・ガウディさんですな。


 すでにガウディさんはいないけれど,いまもサグラダ・ファミリアは建築作業の最中であります。ガウディさんはあまりしっかりした設計図を描かず,その代わりに模型を作ってイメージを伝えるというやり方をしていたのだとか。ひょっとすれば,ガウディさんが持っていたイメージを100%トレースする形での竣工というわけにはいかないだろうけれど,70〜80%程度の再現率は確保できるかも知れない。いま,工事を担当している責任者のひとは,ガウディのイメージを思い浮かべながら仕事をしているのではないか,と想像します。


 何かを作り上げるに際して,最も大事なのは工事を担当する人間の手腕ではなく,その工事を担当するひとたちにイメージを伝える役割を持ったひとではないかな,とサグラダ・ファミリアのことを思うと感じます。


 実は,フットボールの世界もこういう部分,かなり濃厚にあるのではないかな,と。


 ちょっと見ると,監督さんの手腕は大きな要素を占めるように思います。


 ですけれど,優れた手腕を持った名将が作り上げたチームにも,どこかで見たようなスタイルが見え隠れすることがあります。
 例えば,ガンナーズ。2005〜06シーズンの欧州カップ戦を思い出してみてください。いつかどこかで見たような試合運びではなかったでしょうか。現任指揮官であるアーセン・ヴェンゲルは就任にあたって攻撃的な要素を重要視するようなことを言っていたような記憶がありますし,戦力補強もチームの攻撃性を高める方向性を意識したものであるように思います。
 それでも,欧州カップ戦では前任指揮官や,それ以前のガンナーズを彷彿させる,“1−0”のリアリティを追い求めているかのようなフットボール・スタイルを目にするわけです。ガンナーズというクラブが歴史として持っているスタイルが,決勝トーナメントという舞台で見られた,ということは決して偶然ではないだろうと思っています。どんなに攻撃的な方向へとチームを進化させようとしても,クラブが歴史的に培ってきたフットボール・スタイルはDNAのように織り込まれている。クラブとして,「戻るべき場所」と言っても良いように感じます。そして,「戻るべき場所」を作り上げていくのは,確かに監督さんの手腕も大きいのでしょうけれど,スタジアムへと足を運び続けているフットボール・フリークの影響も大きいのではないか,と感じるのです。


 時に,監督さんがシーズン半ばにして不本意な形でクラブを去ることがあります。チーム・マネージメント能力に問題を抱えてのケースもありましょうが,一方ではクラブが伝統として持ち合わせているスタイルとどこか折り合いが付かないひとだった,というケースも一定数あるように思います。それほどに,どういうフットボールをクラブ,そしてスタジアムに足を運ぶひとたちが望んでいるのか,ということは大きな要素だろうと思うのです。


 ガウディさんが設計を担当したサグラダ・ファミリアと,ガンナーズフットボール・スタイルを見比べてみると,こんなことが言えるのではないでしょうか。


 最も重要だろうことは,設計者の思想が脈々と受け継がれていくこと,と。


 恐らく,このことはクラブ・チームであろうと代表チームであろうと大きく違うことはないだろうと思います。そして,設計者はからオファーを受けた監督ではなく,オファーを出したJFAであったり,各フットボール・クラブであり,それらクラブであったりJFAを見つめるひとりひとりのフットボール・ファン(フリーク)でしょう。
 そして設計図となるものは,どういうフットボールを代表チームに対して望んでいるのか,という部分に求められると思います。例えば,1−0のリアリズムを追いかけるようなフットボール・スタイルを指向するのか,それとも3−2というファイナル・スコアに代表されるような守備面での安定性には少々目をつぶりながらも攻撃的な姿勢を失わないフットボールを狙うのか。


 間違っても,「自由か,規律か」などという単純な話ではないし,監督さんにすべてを委ねて良い話でもない。


 一連の次期代表監督騒動では,トップ・マネージメント層を筆頭にJFAに大きな問題があると思うし,8年間の分析や方向性のチェックなどが必要だろうと思いますが,同時に自分たちが代表に対してどういうフットボールを望むのか,設計者として明確なイメージを描くためにもしっかりと問いかける必要があるように感じます。