起承転結。

このうち,承と転をぶち抜いていきなり結に至ると言いますか,明確な論拠を示すことなく結論だけを言っているような感じでしょうかね。


 恐らくお分かりでしょう。こちらの記事(スポーツ報知)のことであります。


 1998年ワールドカップ・フランス大会から考えて,進化の程度が「勝ち点1」に留まってしまった原因がどこにあるのか,そして2002年本大会が代表監督選任プロセスに与えた影響としてどのようなものがあったのか,そしてその影響が結果としてネガティブに働いたのはどこに問題があったからか,など整理しておかねばならない問題が山積しているはずです。


 今回の「勝ち点1」という結果が次期監督選任に関する「起」ならば,これらの問題を整理していくプロセスが承であり転だと考えます。決してバイパスして良いものではない。岡田武史さんが言っていたように,ファースト・ラウンドは各選手が持っているパフォーマンスがそのままピッチに投影されたような印象が強く残っています。ひとりひとりの能力がしっかりと束ねられていない。例えば,時間帯によって,局面によって能力の束ね方は大きく異なるはずです。しかし,そんなベーシックなことでさえ,整理されているようには感じられなかった。
 「自由」を引き出すために「拘束」が必要であることを,痛感させられたファースト・ラウンドではなかったかと感じます。


 前任指揮官は,ある部分においては「高すぎる理想」を持ち出してしまったのだと感じます。


 いつかは目指さねばならない理想,かも知れませんが,まだ時期尚早だったということをファースト・ラウンドにおける勝ち点は残念ながら示してしまっている。なぜ,このような「理想と現実との乖離」が生じてしまったのか。この点の整理をしっかりとしなければならないはずです。


 確かJFAにもFIFAテクニカル・スタディ・グループに相当するセクションがあるはずです。しっかりとしたレポートを上げることができないと,過去テクニカル・スタディ・グループに籍を置いていたこともある名将に三行半を叩き付けられることにもなりかねない。考えてみれば,ちょっと前まで噂になっていた浦和の元監督,ホルガー・オジェックさんも同様にFIFAテクニカル・スタディ・グループに籍を置き,今大会では責任者だとか。「ディシプリン」を強烈に意識させるという意味では,オジェックさんもオシムさんもどこかで共通する要素を感じさせます。そして,恐らく狙いは間違っていないでしょう。


 JFAが描いている監督像には同感できる部分が多いだけに,プロセスを大事にしてもらいたいものだ,と思うのです。