Cliff-hanging days(Japon v. Croatie - Groupe F・#2).

BBCのアナウンサーのように表現すれば,Croatia, nil. Japan, nil.


 書いてしまうとアッサリしたものですが,むしろゲームを見ての印象は正反対のように思います。


 ヒリヒリした感覚を覚えるというか。その感覚こそが,本来のワールドカップだと思うのです。タイトルにも掲げましたが,最後までドキドキハラハラさせられるようなゲーム,その繰り返しがワールドカップ,ファースト・ラウンドなのだということです。
 考えてみれば,8年前の空の感じもどこかニュルンベルクの空の雰囲気に似ているような,そんな感じがします。その,8年前に痛感させられたことはいまでも立派に通用してしまう,ということなのだと思うのです。


 簡単なゲームなど,どこにもない。


 何よりも,冷静な勝ち点計算ができるほどの実績を本大会で積み重ねている“フットボール・ネイション”でもないのだから,どのゲームでも全力で仕掛けていかなければならない。その結果として勝ち点3を奪い取り,あるいは勝ち点1を分け合い,勝ち点を1点も奪取できずにゲームを終える。その繰り返しこそが,ファースト・ラウンドなのだと思う。眼前の相手に対して全力でぶつかっていく,そんなファイティング・スピリットを表現できなければ,僅かなミスが致命傷へと直結する国際舞台では思うようにゲームを進めることは難しい。


 どうしてもクリティカルな場面でのミスが目立ちます。


 初戦のオーストラリア戦でも感じられたことですが,全体が前掛かりになっているタイミングでパス・ワークに綻びが出たり,ボール・コントロールを誤ってしまう。そのミスが,相手に積極的なプレッシングを掛ける必要を与えずに速攻の端緒を提供することになってしまう。どういう形であるにせよ,フィニッシュに持ち込むことで守備陣形を整えるための時間を稼ぎながら相手の攻撃を受け止めるのではなく,自陣に戻りながら守備陣形を何とか形にする,というパターンでは,結果として相手に振り回されることになり,必要以上に体力を消耗してしまうことになる。
 また,関連することですが,やはりチームがまだ,適切な距離感を維持しきれていないような感じがします。最終ラインがしっかりと中盤と連携しながら押し上げていけないと,相手にボールを自由にコントロールするスペースを与えてしまうだけでなく,結果的に最終ラインの守備負担を大きなものとしてしまう。PKのきっかけとなったプレーにしても,中盤と最終ラインとの距離感,コンビネーションが崩れているために最終ラインがギリギリのタイミングでマンマーク・ディフェンスに入らざるを得ない,という部分が大きな要素になっているように感じます。


 どうイメージを合わせるか,という部分が問われ続けているのだろう,と思います。


 前線が持っているイメージ,中盤が持っているイメージと最終ラインが持っているイメージをしっかりと同じ方向へと導いていかないと,再び同じ図式にはまり込むことになる。最終戦へと残された時間はそれほど多くはないけれど,約束事をシンプルなものへと落とし込むことができれば,もっとスムーズにチームが機能するはず。


 厳しいことなど言うまでもない。先に進む可能性にしても,確率論の世界の話だろうと一方で思う。ただ,すべてが終わる前にあきらめるというのもどうなのか,とも思う。何事も強く望まなければ,動き出すことはない。そして見つめるものは,何かが動く,動かせると信じるだけだと思う。どんなに追い詰められようとも。