Argentine v. Serbie et Montenegro (Groupe C).

アルゼンチンは,ある意味美し過ぎるくらいに美しく攻撃を組み立て,同時に容赦ないまでの鋭さをもって相手ゴールを陥れ続けた。


 最終ラインが守備応対に焦りを生じるような時間帯はほぼ存在せず,相手の中盤でのアプローチが後手に回り続けたこともあるが,ダイレクトでのパス・ワークから相手守備ラインが綻びを見せるタイミングをしっかりと計算し,冷静にボールをゴールマウスへと送り込む。前半から凄まじいまでのパスワークでセルビアを圧倒していたように感じますが,後半に入ってからのアルゼンチンも前半同様,それ以上に攻撃的な姿勢を見せていきます。
 ビルドアップからの遅攻,と言うよりも中盤でボールを奪取するとそのままボールをホールドしたまま積極的に攻め上がり,相手守備ラインを切り裂くと,ボール・ホルダーに連動して攻め上がってきた選手の動きを冷静に判断しながらパスを繰り出す。動き出しの鋭さによって相手DFのマークを外しながら,あるいはDFのチェイスを振り切りながらフィニッシュへと持ち込む。


 今大会においては,大量得点差が付いたゲームはスペイン−ウクライナ戦くらいかな?と思いますが,このゲームでのアルゼンチンは,圧倒的なまでの攻撃力を示しながらセカンド・ラウンドへと駒を進めました。


 ノックダウン・ステージとなるセカンド・ラウンドでも,セルビア戦のような攻撃力を見せ付けることができれば,トロフィーが現実的な射程へと入ってくるのではないか。そんな予感をさせるゲームでありました。


 さて,ゲルゼンキルヘンで「悪夢」とも呼ぶべき失点を喫したセルビア・モンテネグロでありますが。


 宇都宮徹壱さんのコラム(スポーツナビ)を読みながら,「勝つこと」と「魅力を放つこと」との間のギャップを気にし始めると,チームのスタイルというのは際限なく揺れ動いてしまうのかも知れない,ということを感じます。


 「勝つためのパッケージ」,あるいはもっと現実主義的に「負けないためのパッケージ」を作り上げ,組織的な戦いを展開することを“見ているひと”が望まなかったとすれば,チーム構築に失敗したことになるのでしょうか。

 プロフェッショナルであれば,必ずと言って良いほどぶつかる壁にプラーヴィもぶつかっていたのではないか。ちょっと引用してみますと,


 どうもペトコビッチは、守備を機軸としたチーム作りと戦術を批判され、それでこの日はあえて(無謀にも)攻撃的に行こうとしたところ、相手に返り討ちされたというのが真相のようだ。・・・(中略)・・・だが、このコメントを聞く限りでは、国民はやはり守備的なチームに満足しておらず、当の指揮官もまた、守備的なチーム作りに対して内心忸怩(じくじ)たる想いを抱いていたように感じられる(「さよなら、セルビア・モンテネグロ宇都宮徹壱の日々是世界杯2006(スポーツナビ)より)。


とのこと。チームを貫いていて良いはずのスタイルが感じられず,どこかひとりひとりのプレイヤーが無理をしているような感じを受けていたのですが,その原因は基本方針を本大会になって大転換してしまったことにあったようです。
 スタイルが揺れ動いてしまうと,チームは「拠って立つべき場所」を失うことになる。そして,本来持っているはずの機能を失い,ひとりひとりのプレイヤーが持っているポテンシャルを引き出すことすらできなくなってしまう。そんなことをこのゲームははっきりと示していたように思います。