オリンピアシュタディオン。

確かに,宇都宮さんのコラム(スポーツナビ)の冒頭で結構な分量が割かれているように,政治に利用され続けたスタジアムかな,とは思います。


 ただ,そのことで建築物自体の評価が決まってしまうとは考えていません。


 誰がアイディアを出そうと,おカネを出そうと,建築物自体の魅力が変質してしまうことはないと思うからです。
 意図なんかに興味はない。いまある,あり続けているということに意味があると思うのです。


 ということで今回は,フットボールが行われる舞台であるスタジアム,特に決勝戦が行われるオリンピアシュタディオン・ベルリンに関してちょっと書いていこうと思います。



 宇都宮さんが指摘するように,このスタジアムと(特にネガティブな意味での)“ポリティクス”というものはどうも分かちがたく結び付いているように感じられます。


 建設の裏側を見れば,その印象はさらに強くなります。
 1936年の夏季五輪開催地がベルリンに決定し,それまであった国立競技場を大改修するという方針が大まかに決定した時期と,ナチがドイツで勢力を急拡大してきた時期はほぼ一致するのだそうです。彼らは夏季五輪国威発揚だけでなく,ナチという存在を対外的にアピールする絶好の機会と捉え,スタジアム改修計画を大幅に変更し,コロッセオをイメージさせるような建物へと変更したのだとか。このときにピッチレベルを大幅に低くし,観客収容数を引き上げるという手法が採用され,現在の特徴的な外観の基礎が提示されたのだそうです。当時のスタジアムの雰囲気は,リーフェンシュタールさんの記録映画で広く知られるところです。
 恐らく,このときにナチが競技場整備に当たって与えた「インペリアル・スポーツエリア」という計画名やスタジアム・デザインに込めたであろう意味が,あとあとになっても“ポリティクス”の存在を意識させる大きな原因になっているのではないか,と個人的には考えています。


 そのあと,1974年ワールドカップ・西ドイツ大会に際して部分的に屋根を掛けるという改修があり(このときは,まだ無粋な壁がブランデンブルク門周辺の景観を遮っていましたですな。),2000年から4年にわたる大改修を経て,現代的な設備を備える最新鋭のスタジアムへと変貌を遂げるわけであります。


 さて,虚心坦懐に写真を眺めてみると,やっぱり魅力を持った建物だと思います。


 日本では「耐震性低下」という部分がなかなかクリアできないために歴史的建造物が現代的に改修されるというケースは少ないのですが,このケースではしっかりと歴史的遺産に対する配慮を忘れることなく,現代のスタジアムに要求されるアメニティであったりホスピタリティを落とし込むことに成功しているように感じられます。ピッチの緑と,陸上トラックの特殊舗装,その塗色であるブルーとのコントラストがなかなかキレイですし,照明設備が巧みにルーフに組み込まれているためか,デザイン的な煩雑さを感じることがない。やっぱり,“バウハウス”のお国柄だな,と。


 恐らく,フットボールを見るためだけのことを考えれば,もっとほかに理想的なベニューはあるでしょう。ネーミング・ライツに忠実に書けば,アリアンツ・アレーナを筆頭に,ヴェストファーレン・シュタディオン(ボルシア・ドルトムントのホーム・スタジアム)やライン・エネルギエ・シュタディオン(1FCケルンの本拠地)などです。しかし,歴史に敬意を払ったスタジアムで決勝戦を,というアイディアにはなかなか敵いそうにない。
 過ぎたことではあるのだけれど,2002年大会で国立霞ヶ丘がオリンピアシュタディオン・ベルリンのような立場になれなかったことが残念に思えてくるのです。