The pride of "underdog".

ちょっとフットボール以外の話などを。



 “underdog”とは,「敗残者」であるとか「負け犬」というような意味を持った単語です。少なくとも,あまりポジティブな単語ではありません。ですが,自分たちのことを敢えて“underdog”と言い放つレーシング・チームのボスがいます。

 ここではときどき扱っているので,憶えておいでの方もいるでしょう。“トルネード・カラー”を纏ってTT−F1やX−フォーミュラ,JSBに参戦してきたヨシムラのボスである不二雄さんです。



 彼らは圧倒的な資金力を背景にマシン開発,熟成をこなせるワークス勢とは違い,プライベティアとしての立場を崩さずにレース・フィールドに臨み続けてきています。限られたリソースを最大限に活用しながら,ワークスと真正面から勝負していくことを選んだわけです。ある時期からは,スズキのレース・オペレータとしてワークス活動を支える立場として生きていくことを選べたかも知れません。スズキのリソースを最大限に活かしながらレース活動ができたかも知れないのです。にもかかわらず,すべてを自分たちでコントロールできるプライベティアとしての立場を選ぶ。傍目から見れば,確かに“underdog”という表現もおかしくない,かも知れません。



 ですが,彼らの戦いぶりは“underdog”という表現からは程遠いものがあります。



 覚えていることがありまして。



 そのときは鈴鹿8耐だったと思います。彼らのマシン,ゼッケン12はポディウムを狙える位置をキープしながらレース終盤を迎えていました。もう,カウントダウンタイマーが1時間を切るか切らないか,というタイミングだったでしょうか。無事にマシンをフィニッシュ・ラインに・・・,という時間帯で転倒という事態に見舞われます。ライダーはあきらめることなく,かなりのダメージを負ってしまったマシンを何とかピットまで運んでいく。

 リペアを担当するピットクルーは,的確な指示を飛ばしながら必要最低限の修理作業を行い,ライダーを再びレース・コースへと送り出す。ポジションが下がろうとも,自分たちの仕事を徹底的にこなす。



 彼らの仕事ぶりを見ていたワタシとしては,あとになって不二雄さんが“underdog”という単語を口にしたことに違和感を感じ,そのあとすぐに,プライドの裏返しなのだな,と納得したのです。

 物量,資金面がモノを言うように思われるレースの世界で,経験とノウハウを武器に限られたリソース,その価値を最大限に引き出すことでワークスと真正面から戦うことを選び続けているチーム。彼らの“ワークス”へと向けられたファイティング・スピリットは“underdog”が持つものなどでは決してない。「野武士軍団」とでも言い換えたいくらいです。



 気概を大上段に示すことなどない。

 むしろ自然体に見えるけれど,その背後には伝統,経験や技術から導かれる矜持がのぞく。そういうチームには,単なる勝敗,チャンピオンシップ・ポイントを超えた魅力があるように思います。