踏み抜くだけ(Australie v. Japon - Groupe F・#1)。

コンフェデレーションズ・カップでのブラジル戦。


 あるいは,本大会を目前としたテスト・マッチであるドイツ戦。
 恐らく,日本代表のポテンシャルを示すゲームでしょう。


 しかし,同じコンフェデレーションズ・カップのメキシコ戦であったり,本大会直前のテスト・マッチであったマルタ戦。これらの試合も間違いなく日本代表の実像を示すものであり,解決しておかねばならない課題を引きずりながらドイツに乗り込んでしまったということをマルタ戦が暴露した,ということにもなるでしょう。
 そして,初戦はマルタ戦の悪い状態をそのまま投影したものであったような。


 短期決戦を優位に進めるためには,初戦を制することが重要な意味を持つ。恐らく,競技の別を問わない考え方だと思います。ですが,最低限「勝ち点1(引き分け)」を狙うということも,2戦以降にネガティブなイメージを引きずり,追い詰められた状況から攻撃的にいかなければならない,という不自由な戦いをしないためにも大事なことでしょう。そういう前提をしっかりと意識し,どういう戦い方をすべきかというラフ・スケッチを共有していたはず。


 にもかかわらず,「戦術的イメージのズレ」という,あってはならないことがゲーム終盤になって表面化してしまった。モダン・フットボールにあっては最重要項目である戦術的なイメージが,あまりにも脆弱であることを示してしまった。


 前線が持っているイメージ,中盤が持っているイメージと最終ラインが持っているイメージがズレを生じているために,チームが機能するための距離感が失われる。結果として,最終ラインに掛かる守備負担が過大なものとなる。相手がロングレンジ・パス主体の攻撃へと明確にシフトしてきたのであれば,守備陣形を整えるためにも,カウンター・アタックの時には強引な形であってもフィニッシュまで持ち込み,チーム全体のバランスを取り直すだけの時間を稼ぐ,などのイメージがあるべきだった。積極的にチャレンジを繰り返す中から,相手を突き放すチャンスはあった。しかし,そのイメージが初戦ではあまりにも不明確なままだったために,リズムを半ば自ら手放すことになった。


 ただ,このままで終わるわけにはいかない。


 実質的に,「選択肢はただひとつ」という状態にある。もはや,ペース配分がどうとか,計算がどうとかいう段階を大きく超え,ひたすらプッシュしていく以外に活路はないわけです。そうなったときに,不明確な印象がどうしても拭えない戦術的なイメージが,“メンタル”という部分によって少しでも明確なものとなっていくのではないか。
 いまからは自分たちを信じて,どれだけ「踏み抜けるか」,迷いなく勝負に挑めるかが問われるように思います。チーム全体が限界まで踏み抜いてやる,と思い定めたときに,本来持っているはずのポテンシャルを示すことができるのではないか。本当はメンタルを全面に押し出すことなく戦っていくための4年間であるべきなのですが,いまはそんな繰り言を言っている時ではない。そう思っています。