Serbie et Montenegro v. Pays-Bas (Groupe C).

ワールドカップでも,やっぱり1日遅れが標準装備です。


 “1−0”という数字だけから受ける印象よりも,はるかにいいゲームだったと思います。そして,中盤のアイディアでちょっとビックリさせられたゲームでもありました。


 最近では,中盤でウィング的なポジションを取ることはあまりないような印象があります。攻撃時に分厚さを作り出すためでしょう,アウトサイドからの攻撃はSBとオフェンシブ・ハーフとのコンビネーションから組み立てられ,アウトサイドに展開していない時間帯では,オフェンシブ・ハーフはどちらかと言えば中央に絞り込んだ位置でセカンド・ストライカー(あるいはトレクワトリスタと言うか)というような感じのスタイルが増えているように感じていたわけです。


 しかし,グループリーグ第1戦におけるオランダ,その前線から中盤の構成は特徴的だったように思います。


 ターゲット・マンとしても,そしてフィニッシャーとしても高い能力を持っているファン・ニステルローイを1トップに据え,ファン・ペルシロッベンがシャドー・ストライカー的にトップ下に位置する時間帯も確かにありましたが,基本的にはウィンガーとして機能している時間帯が圧倒的に多かったと思います。また,中盤のポジションがしっかりと固定されたものではなく,かなり流動的なものであったという部分がかなり特徴的だな,と感じたわけです。
 言ってしまえば,中盤〜前線というフィールドにおいて“トータル・フットボール”のエッセンスを感じさせる流動性と,ウィンガーとしてアウトサイドからの攻撃を構成する役割と,シャドー・ストライカーのようにスペースへと鋭く飛び出し,フィニッシュへと持ち込むという役割を同時並行的にこなすマルチ・ロールがポジション・チェンジを含めて破綻なく展開されていたという部分に興味を惹かれたわけです。


 ボール奪取位置が比較的高い位置に意識され,そこから早い段階でアウトサイドへとボールを展開する,というイメージが明確に共有されているのでしょう,オランダはピッチサイズを最大限に活用する攻撃を展開していたように思います。また,ウィング・システムを使っていることと関連すると思いますが,最終ライン,特にSBはウィンガーとの縦方向でのコンビネーションで攻撃を組み立てると言うよりも,相手ボール・ホルダーをタッチラインへと追い込みながらボールを奪取するというイメージの中でディフェンシブ・ハーフとのコンビネーションを見せる,という感じが多かったように思います。


 決勝点となったロッベンのゴールは,中盤低めの位置,ほぼ最終ラインと言っていいような位置でのターンオーヴァが起点だったように記憶しています。そして,ボール奪取には中盤と最終ラインがしっかりと連携を見せていたように思います。ボール・ホルダーに対するアプローチからボール奪取に成功すると,ボールはハイティンガファン・ボメルからファン・ペルシへと渡り,このときはウィンガーと言うよりも,セルビア守備ブロックを切り裂くようなシャドー・ストライカー的な動きを見せていたロッベンにパスが繰り出される。ロッベンを十分にケアしきれていなかったセルビア守備ブロックはボールに対する反応がワンテンポ遅れ,ロッベンはフリーの状態から冷静にグラウンダーのシュートを放つ。鮮やかすぎるくらいに鮮やかな先制点奪取だったように感じます。


 対して,セルビア・モンテネグロは中盤でのプレッシングがなかなか機能せず,それだけに最終ラインでの守備応対が攻撃面でも鍵を握るような展開になっていたように思います。コメンタリーの方はプレッシングを主戦兵器としながら欧州予選を勝ち抜いてきた,というコメントをされていました。いましたが,確かにこのゲームではオランダのフットボールに対応するためには,積極的なプレッシングを掛けるのは気温などのコンディションを考えても自殺行為,という判断もあったに違いありません。最終ラインを攻撃の起点として意識する,カウンター・アタック主体のゲーム・プランを描いていたようです。ただ,セルビアのカウンター・アタックはかなりの鋭さを持っていたと思います。ファン・ニステルローイのところでのボールの収まりがいまひとつ良くなかった,言い換えれば守備ブロックの守備応対がしっかりしているために,最終ラインからのロングレンジ・パスがオランダに対する武器としてしっかりと機能し,オランダ守備ブロック,そしてゴーリーであるファン・デル・サールをかなり手こずらせていたようにも感じます。


 ・・・ゲーム全体を考えれば,ロッベンに尽きるゲームだったようにも見えますが。


 クラブ・チーム的に戦術が徹底されたチーム同士が真正面からぶつかり合うと,スタイルの違いを超えてかなり良いゲームが展開されるもの,ということをあらためて確認したような気がします。