そこにある(かも知れない)脅威。

フツーに生活していると,「脅威」を身近に感じることはほぼないでしょう。


 ですが,どこか海外に出掛けようと思うと,案外「脅威」は身近にあるのかも知れない,と認識を新たにすることがある,とも感じます。


 最初にそんなことを実感したのは,コソボ紛争に端を発するNATOによるユーゴ空爆の頃の話です。


 実際にはそんな心配などない,とワタシは思っていましたが,NATOに加盟している国の航空会社を利用することに心配をするひとも多かったことを思い出します。その後,明らかに風向きが変わったのは2001年の「同時多発テロ」でしょう。ヒコーキが武器に使われたことで,そのヒコーキに乗るひとに対する目線は非常に厳しくなったなと思うのです。


 2002年ワールドカップはその後に開催されたわけですが,会場の警備体制,より具体的に言えば警戒対象がフーリガンだけにとどまらず,テロリストにまで大きく拡がってしまい,緊張度が増したことを記憶しています。このときはワタシも韓国に予選リーグを見に行ったのですが,NRTに向かうべく仁川国際空港から出国しようとするときのセキュリティ・チェックでテロ対策に気を使っていることが実感できました。フツーに考えれば爆発物を隠し持てそうにもない,ロープロファイルのスニーカーを履いていたのですが,しっかりとX線探知機を通すように指示されましたし,2泊3日の強行日程でしたからバゲッジも1泊2日程度がせいぜいのバックパックひとつだったのですが,なかなか厳重なチェックでありました。


 ドイツ大会は,さらに否応なく(文字通りの)“ポリティクス”の影響を受けるものとなりそうです。TVでも大きく報じられていましたが,ミュンヘン・オリンピック開催期間中に発生した苦い経験をもとに発足した対テロ精強部隊であるGSG−9やGSG−9をリファレンスとした特殊急襲部隊がドイツ国内の各ベニュー,そして国境警備のために展開されるようです。


 また,ちょっと前にはFIFAパートナーであるヒュンダイが選手バスに施されるデザインを公開したときも,安全上の理由からアメリカ代表チームが使用する予定のバスには星条旗をデザインしなかったことが伝えられていました。


 「何事もなく全日程を終了する」ことが非常に大きな意味を持つ大会になってしまっていることにちょっと残念な気持ちがありますし,実際に脅威があるわけではないけれど,ともすればすぐとなりに脅威がある,という状態でフットボールのゲームがあるというのは何とも表現しにくいものがあります。