イメージ。

どんなに風光明媚な場所を走っていても,気持ち良いワインディングが続いていると,意識は間違いなくそのワインディングに集中してしまいます。


 景色のことなどよりも,目の前に続いているカーブを最も快適(かつ,スムーズに速く)脱出するためにはどういうラインを描くべきか,そんなイメージをステアリングの操作量やギア選択,そしてアクセル開度やブレーキングにに落とし込み続ける,そんな作業に没頭してしまう傾向が強いですね。
 確かにドライヴィング・スキルも重要なのだけれど,それだけではスムーズに速くカーブを駆け抜けることができない。スキルを束ねるのがイメージという感じかな,と思うのです。


 シロートのワタシであっても,イメージはかなり重要だなと感じるのだから,プロフェッショナル・レベルに達しているアスリートが描くイメージというものがどれほど緻密で,具体的なのか想像するだけでも面白いな,と思います。


 こんなに長くマクラを書いたのには訳ありまして。


 シンジのコメント(今回のエントリはシンジの話だけをしようと思うので,小野選手などとあらためて書かずにおきます)を“エル・ゴラッソ”紙で読んで,「なるほど!」と思うところがあったからなのです。


 「浦和に復帰することでプラスになる部分は?」という質問に対して,

 プレーする上でイメージを大切にしている。浦和にも長谷部やポンテなど素晴らしいイメージを持っている選手がたくさんいる。そういった選手と近くでプレーすることは、自分にとっても良い影響になると思う。(小野伸二入団会見レポート(エル・ゴラッソ2006年1月17・28日号3ページ)より引用)


というコメントを残してくれています。


 「そうか!」と。


 よく考えてみればアスリートにとってのテクニカル・スキルは無意識のうちに引き出せるレベルにまで高まっているはずです。レーシング・マシンを操るライダー同様,ルーティンのようにごく自然にテクニックを繰り出しているはずです。
 むしろ,どういうプレーがこの局面では効果的か,という緻密な,そして具体的なイメージ(と言うか,戦術的なピクチャー)がぼやけてしまったり,ピクチャーが明確な像を結ぶまでのタイムラグが生じてしまうことこそがマイナスかも知れないな,と思ったわけです。


 シンジが持っているに違いないポテンシャル。


 その基盤となるのは間違いなくその高いテクニカル・スキルではあろうけれど,それだけではないとおもう。広い視野によって得られる状況判断と,そこから導かれる緻密な,そして見ているひとの想像を大きく超える戦術的イメージ。そして,そのイメージによって高いスキルがコントロールされ,実際にプレーとしてピッチ上に表現される。それらが流れるようにスムーズであり,ときにイメージが実際のプレーよりもはるかに先行しているのではないか,と思うほどに。
 そして,イメージによって見ているひとを驚かせてきたシンジ自身が,長谷部やロブソン・ポンテを「良い刺激」としてみている。前のエントリで,シンジはまだ持てるポテンシャルを完全に解き放ってはいないはずだと思っていることを書きましたが,そのポテンシャルを互いのイメージを存分にぶつけ合うことのできる「チーム内競争」を通じて100%,あるいはそれ以上に引き出すことができるのではないか,と思います。


 違った視点で見れば,シンジのプレー・イメージ(戦術的イメージ)が緻密さを増すごとに,チームとしてのポテンシャルが同時並行的に引き上げられ,組織的なボール奪取からのポゼッションを指向しながらも自由度の高い積極的な攻撃を目指す,「機能美に満ちた」フットボールが展開されれば。そんなことを考えていたりします。