パッケージというアイディア。

今回は,ちょっと屋号関係の話からはじめてみようかな,と思っております。


 “パッケージ”。


 いわゆるオープンホイーラーでは大前提として確立されている考え方であります。


 具体的に要素を取り出して言うならば。
 エンジンの出力特性や振動面だけに着目して基本設計に入ったり,ギアボックスのレイアウトだけを最適化する方向で設計をしてしまうと,車体が必要以上に長くなってしまったり,空力特性を左右するディヒューザー形状を最適化することができなくなってしまうことになります。
 また,ドライブトレーンはサスペンションを支持するポイントしても機能していますから,路面からの入力に耐えられるだけの強度を持っていなければならないし,考え方によっては後部シャシーという見方もできるのだから「車体」という意識を持って設計する必要性が出てくる。
 つまり,ひとつひとつの要素だけを取り出して最適化する,というアプローチを採るのではなく,全体のバランスをまず考えた上で要求される性能を充足する,というスタイルを採っているのです。
 「部分最適」,あるいは全体のバランスが悪いことには目をつぶってまでもエンジン・パワーを高めることでライバルに対してアドバンテージを構築する,という「一点豪華主義」でチャンピオンシップを奪取することは,現代のトップ・フォーミュラの世界では不可能,ということだと思います。


 メカニズムと人間を同一視することに問題を感じないではないけれど,フットボールという競技にも「パッケージ」という考え方は相当意味があるように思うのです。
 すでにラグビーフットボールの世界ではエリサルド・ジャパンのアプローチのように“パッケージ”に目を向け始めているような感じがします。つまり,ひとりひとりのプレイヤーが持っているフィジカル・ストレングス,テクニカル・スキルやメンタル・タフネスは当然のように重要な要素ではあるけれど,それらを結び付ける要素もまた重要だ,というように。つまり,「戦術」と「個人の資質」は二律背反の関係にあるのではなく,相互補完的な関係にあるのだ,ということ。


 高校選手権においてテクニカルな部分から勝利へのアプローチをかけた野洲が全国制覇,という結果を叩き出した。しかし,彼らも決して「組織」という意識を持っていないわけではない。むしろ,エリサルド・ジャパンのように局面を判断する能力を植え付ける,というアプローチを採っていたのではないでしょうか。メディアで取り上げられているように,どちらかが正解を引き出し,他方が不正解となった,ということでは決してないと思う。
 ならば,鹿児島実,あるいはいままでの強豪校のように戦術的な約束事を守備面,ボール奪取面で整備したとしたらどういう進化を遂げるのか,という視点があっても良いし,逆に,鹿実や国見に代表される強豪校が”イマジネーション”というエッセンスを攻撃面に加えることができるならば,どういうスタイルに進化していくのか,という楽しみがある。


 高校(ユース)世代の大会が短期決戦型から,プリンスリーグのような,ある程度長丁場を戦い抜く形へと変化している現状を思えば,“パッケージ”を強く意識した個人のスキル,イマジネーションと組織戦術が巧みに織り合わさったスタイルのチームが増えてくるのではないか,とちょっと期待しているのです。