ブランドの持つパワー。

どんなに札束を積まれたところで決して買えないもの。


 恐らく,歴史や伝統,あるいはブランド(暖簾)などもその範疇に収まるでしょう。


 早稲田大学ラグビー蹴球部は先日行われた大学選手権1回戦においても,明らかに「規格外」の強さを発揮しています。そのきっかけを作り出したのは,サントリーから早稲田監督に就任された清宮克幸さんでしょう。


 そして,清宮さんが目を付けたものこそが,“ブランド”ではないかな,と思うのです。ちょっと今回は,スポーツを違った目線から見てみようかな,と考えています。


 ちょっと考えてみると(と言いますか,いろいろな記録を見返してみると),実業団がスポーツの主力に躍り出る以前には大学がスポーツを支える主役でした。インフラストラクチュア,あるいは人的資源に恵まれているのは大学以外にあり得なかったからです。


 ただ,実業団には“バジェット”という武器があり,4年間という時間的な制約がない,というアドバンテージがある。恐らく,主役が実業団へとシフトしていったのは投下できるバジェットの大きさ,そして指導の継続性が担保できる,という利点があったからではないでしょうか。


 学生,という条件を付けてしまえば,「4年間」という制約からは決して逃れることはできません。しかし,OBやそのご子息にまで範囲を拡大すれば,最も簡単に地域に根ざしたスポーツクラブを作り上げることが可能となる。そして,積み重ねてきた歴史,あるいは伝統がもたらすブランド力は,ともすれば実業団チーム以上に魅力的なものであり,オフィシャル・サプライヤーなどのパートナーに対する訴求力を持ち得る。そして,結果として活動に要するバジェットが拡大でき,人的資源(指導環境)をさらに充実させることができる。当然ながら,スポーツ推薦制度をしっかりと運用していることも一因でしょうが,彼らにとって魅力的なチーム(あるいは大学)でなければ,どんなに推薦制度を柔軟に運用しようとも有望な選手が集められるわけでもない。


 恐らく,早稲田は自分たちが持っている(持ってきていた)資源を有効利用するためのアプローチを見つけたのではないでしょうか。その足掛かりになったのが,「早稲田」という看板それ自体だったのだ,と思うのです。ブランド,というのは一朝一夕に成立するものではない。じっくりと時を積み重ねる中で次第に認知されるものだと思うし,それだけに意味を持つのだと思います。スポーツの世界にも,その重みが役立った,ということではないか,と思う部分があるのです。


 慶應義塾,明治など対抗戦Aグループの古豪,あるいは同志社立命館などの関西勢だって,早稲田同様の強化方針を充分に立て得るはずです。もちろん,現有戦力での最適解を追い求める,という「短期目標」も重要ですが,長期的な視野を持って大学スポーツを積極的に外部にアピールしていく。その中で強化を図っていく,という考え方も大事かな,とちょっと思ったりするのです。